どんな罪でも、どんな罰でも構わない。
だから、どうか俺の傍から消えてしまわないでくれ。
俺を独りにしないでくれ。俺だけの為に、笑ってくれ。
その声で呼ぶ名は、俺のものだけにしてくれ。
なんて、自分勝手な理由だろう。
お前は、足元すら見えない闇を照らす眩い光だと言うのに。
俺などに、眩い月を閉じ込める権利など、力など、ありはしないのに。
それでも俺は情けないほど、おまえが愛おしい。
心優しいお前は俺が泣き縋りでもしたらきっと傷ついて、何を差し置いても俺を愛すと言ってくれるだろう。
許されることではない。許されたくもない。
罪がお前を繋ぎとめ、罰がお前を泣かすのだから。
俺だけが知る涙すら大事に取っておきたい。俺は、おかしいのだろうか。
何を捨てても、お前さえ俺の傍にあればいいなどと、本気で思っている。
「九郎さま、どうなさいました?」
透き通った鈴の音のような声が、気遣わしげに言った。
はっとすると、いつの間にか握り込んでいたらしい手のひらを、爪の先が何かにぬめって滑った。
夜の冷たい空気が、すうっと熱をもった拳を撫でる。
俺は、一体何を考えていた?思い出したくもない。ひどく、恐ろしいことだ。
「九郎さま?」
が、また俺の名を甘く繰り返す。
いやだ!知られたくない!俺の汚れた心など!俺の欲に塗れた禍々しい想いなど!
数多の戦場で浴びた鮮血が染み込み、既に真っ黒な歪みを宿すこの身体。
こうして静かに同じ空気を共有しているだけで、彼女の真白さを俺が犯してしまっているのではないかと気が狂いそうになるというのに。
これ以上の業を、どうする?今以上の罪を、どうして犯す?いやだ、いやだいやだいやだ!
「、九郎さま、本当にどうなさったのです?お顔色が、」
膝の上のきつい握り拳にそっとその白い手を重ね、は決して視線を合わすことの出来ぬ俺の目を捉えようと、覗き込むように小首を傾げて言った。
、お前がいっそ俺が憎らしいと言ってくれたら、この罪悪感は消えてくれるのではないのだろうか。
固く握った手のひらから力を抜いて、優しく重ねられた手を掴む。
むっとした熱気を放った俺の手のひらには、やはりどろりと真っ黒な血が滲んでいた。
白魚のような美しい手に、俺の汚れた血がべっとりと付着する。
こうして、俺はどんどん奪ってゆくのだな。
お前の、侵されてはならぬはずの領域を。
真白な、純潔を。
「っ、な、九郎さま、一体どうされたと仰るのです?ああ、血が、九郎さま、」
どす黒い俺の血を見て、は動揺を露にしておろおろと不安げに瞳を揺らす。
誰か人を呼んでくるから手を離せと言うのを全て無視して目を閉じ、その存在を確かめるように、俺の血の付いた手を頬に滑らせる。
俺の、おれの、俺の、恋しい女。俺の闇だけを救う眩い月明かり。
どうしてだろう。汚らわしい俺の血に犯されてしまっても、お前は美しい。
甘い香りのする手のひらをゆっくり唇まで移動させると、そこに口付ける。
何度も、何度も。そして確認するようにまた頬に滑らせては、乾いて色を変える血の上からまた生温かいのを強引に重ねる。
動揺していたはずのは、すっかり大人しく口を閉ざしてしまい、空いているもう片方の手で俺の頬を包んだ。
「…、、」
掠れた声で名を呼ぶと、は困ったように呟いた。
「こんな風にしてしまっては、剣を握れませんでしょうに…」
そして労るように、俺の頬に添えた手のひらを血だらけの手に重ね、辛そうに眉根を寄せた。
、やはり俺は人として失ってはならない大切な部分が狂ってしまっているらしい。
そんなお前の表情すら、俺の為のものならば愛おしいのだ。お前の全てを俺のものにしたいのだ。
俺の歪みの中に閉じ込めてしまって、誰にも見せたくない。
「九郎さま、お手を」
何も言わない俺を気にする風でもなく、は静かにそう言った。
きつく掴んで離さなかった彼女の手を解放すると、その手の甲は真っ黒だった。
そしてその手が、未だ生温かい血を流す俺の手をそっと包み込んだ。
何をするでも、何を言うでもなく。ただ静かにそうしていた。
「……、」
「はい、九郎さま」
あまりにも穏やかな沈黙に耐えきれなくなった俺が口を開くと、はやはりなんともないように微笑んだ。
おまえは、何もかも分かっていて、それでもなお素知らぬふりで俺の傍で笑うのか。
俺が欲しいぬくもりを宿して、俺が望む声で俺の名を呼んで。
すぐそこに広がる夜空には、俺をすっぽり飲み込んでしまうような満月がひっそりと俺を睨んでいた。
相克の満月