私は、女がつまらなそうな顔をするのが、嫌いだった。 とても、嫌いだった。 女、と云うのは勿論彼女の事だ。 此の話には必要不可欠な、プリマドンナ。 名を、と云った。 彼女はあの時、確か二十三か其処らだったと思う。まだ出会って間も無い頃、私に彼女が話してくれた。しかし彼女は、私の言葉を理解しておきながら、何かと誤魔化す事が好きだった。其の意地悪い癖のお蔭(かげ)で、あの時彼女が幾つだったか、私は分からない。だが、確かな事が一つ。彼女の妖艶さは、其れ以上だった。私は勿論、誰もが其れを認めていた。私の前の主人と云うのが、とんでもないドンジョヴァンニ―――――――女誑(たら)しで、いつも違う女を連れている様な男だったので、だから、と云う訳でも無いが、私の眼は美醜を精確(せいかく)に判断出来るものと自負している。男が自身の近くに許す女と云うのは、どれも美しい容姿をしていた。 あのダメリーノ、あの、とんでもなく凶悪な女誑しも、姿形は勿論、その生き様は格好が良かった。プリマドンナのと並んでも、見劣りしない容姿と地位を持っていたからだ。全身を黒で染め上げていた、黒のボルサリーノの男。名を、リボーンと云った。私をに引き合わせた男だ。そして、レディナイトダンスのオーナーをしていた男。 整った容姿をしていたし、地位もあったが、少し乱暴な性格をしていたのが欠点だった。気に入らない事が在れば、直(すぐ)に発砲する様な。しかし、此処は夜の闇、陽の当たる社会の裏に隠れる、レディナイトダンス。そして私達も彼等と同属であったから、其れを咎(とが)める人物もいなかった。いなかった?いや、違う。一人だけ、いた。 そう云えば一人だけ、ボルサリーノのリボーンを咎める事が出来た男がいた。 女とスポンサー 「んん、っ、は、ぁ、」 とリボーンの口付けは、まだ続いていた。 骨張った男の手が、深いスリットの入ったドレスから侵入し、の太腿をするりと滑(すべ)る。 「っあ、ん、っもう、悪戯が過ぎますわ、」 「悪戯?それはどうだかな」 にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、リボーンはの唇を塞いだ。 の足元が、ふらふらと頼り無くなってきたのを幸いと、ベッドに傾(なだ)れ込もうとした瞬間。 「お取り込み中悪いけど、いいかな」 甘さをたっぷりと滲ませた男の声に、の身体がびくりと跳ねた。一瞬眉根を寄せたが、唇を離して、舌が銀色の糸で繋がるのを見ると一転。機嫌良さそうに、彼女の身体を這っていた手を除けて、ふらりと傾いたの細腰を支えた。 「……どうして殺したりしたんだ」 蜂蜜をたっぷりと含ませた様な、甘い、髪の色の男は、低い声で言った。そして、その返答の為にリボーンが口を開こうとするより早く、が彼の手からするりと離れ、男の方へと近づいていった。驚いた顔をしたのは一瞬、男はその表情を直(すぐ)にふわりと甘いものに変え、を引き寄せた。 「あの人、酷いことをしたんですのよ、ボスがわたくしに下さった御化粧台、蹴り倒したんですもの、」 「あぁ、あれか。君はとても気に入ってくれて、大事にしてくれてたね」 「それを、酷く扱われて、だからとっても、それが腹立たしくて、」 そっと男の胸に手を置いて、縋る様に頬を寄せる。 彼女の長い髪を、そっと耳に掛けると、男は甘く囁いた。 「あれはまた買ってあげるよ。君は何も心配しなくていい」 は華が咲いた様な、可憐な微笑みを浮かべ、彼の優しい瞳をじっと見つめた。 男は照れた様に笑うと、の頬に口付けを落とし、リボーンに向き直った。 「……このことはいいとして、その他について。発砲癖、なんとかしろよ?リボーン。 先に手を出した方が責められるんだから、そういう喧嘩っ早いのは損するんだよ」 「甘っちょろいこと抜かすヤツから消えてくんだぞ。ボンゴレの十代目が馬鹿言うんじゃねぇ。 テメェこそ、その馬鹿げた平和思考、なんとかしやがれ。じゃねえと死ぬぞ、馬鹿」 「馬鹿馬鹿うるさいな、もう。……それと、にこういう汚いものは見せるな」 「……言われるまでもねぇ。新しい部屋を用意させるから、拗ねるなよ?」 そう言ってにキスを落とすと、リボーンは部屋を出て行った。 男の死体をすっかり忘れていたは、ちらりと其れに視線を遣った。しかしそれも一瞬で、其れに対する興味は直(すぐ)に消え失せ、興味は男へと移る。甘い笑みを浮かべている、男。彼の腕に纏わりついて、にこりと笑う。 「ドン、」 「二人の時は止めてくれって、言っただろ?」 「綱吉さま、」 「うん、それがいいな」 熱っぽい視線を絡ませ、二人の唇が少しずつ近づいていく。 「綱吉様が、こうしてレディナイトダンスに付いて下さって、嬉しゅう御座います」 「本当に?それとも、お得意のお世辞かな」 レディナイトダンスの、上客中の上客。 スポンサーとして此のクラブのバックに存在し、クラブの権利を所有している。 マフィア、ボンゴレファミリー。 男は、そのボンゴレファミリーの十代目ボスを務めている。 此の辺りでは珍しい、ジャッポネーゼ。 目立つ存在だ。 名を、沢田綱吉と云う。 ボンゴレが此のクラブのスポンサーである事、ボンゴレ十代目がジャッポネーゼと云う事は有名な話だ。 そして、十代目ファミリーにはジャッポネーゼが多いらしい、と云う噂。そう云った理由から、此の辺りでジャッポネーゼを見かけたらボンゴレと思えと、どんな悪であろうともその教えだけには忠実に従う。逆らってはならぬし、逆らったところで待つものはたった一つ、死のみだ。 そんな恐ろしい連中の頭である男は、優しい雰囲気を持った好青年、と云う様な容姿。どちらかと云えば、リボーンの方がその名に相応しく思える。しかし彼は彼で、ボンゴレ最強のヒットマンと云う看板を背負っているし、其れは彼にとても似合っているものだ。第一、リボーンの様な男がこの界隈を仕切っていたら、其れは考えるのも恐ろしい。 は、笑った。 「いやですわ、それじゃあわたくしが口にすることは全て、空言と仰りたいの?」 「まさか。でも君は、俺を愛してはいないだろう?」 「まさか。それは綱吉様の方じゃ御座いませんか?」 そう云った遣り取りを楽しみながら、二人はお互いの唇を貪った。は、優しそうな風貌からは決して分からない、激しさと鋭さを持った沢田綱吉が好きだった。甘い言葉とは裏腹に、噛みつく様なキスをする。 甘い笑顔とは裏腹に、身体を這う手は本能が突き動かすまま、と云う様な具合に。それでも彼は、にとても優しかったし、また、とても甘かった。彼の彼女の甘やかし方は、本当にどろどろと溶け出してしまいそうな程、甘い。だから、そんな彼と口付けを交わす度、は思うのだ。唾液が口内に流れ込んでくると、それはひどく甘く、ほんの少し、ほろ苦いものがある。まるで、蜂蜜を飲み込んでいる様だと、どろどろと溶けていく思考の、何とか踏み止まろうとしている部分が、最後の抵抗として冷静にに思わせる。 「んん、っはぁ、ん、っ、ん、」 「、買い物にでも行こうか。何でも好きな物、買ってあげるよ」 にこにこと、少年の様に笑う沢田綱吉に、も笑った。 心の奥底、深い深いところで、ひっそりと。 「ん、綱吉さま、」 彼の首に腕を回すと、の身体はふわりと持ち上がった。 彼女を抱き上げて満足そうに笑うと、沢田綱吉はそのまま部屋を出て行った。 この部屋に戻る事は、もう無い。 |