それは、決してやさしくない選択権。




彼は、なんだろうか。


いつも何か企んでいるんじゃないかと思わせる、邪気のない瞳。
その奥で私を嗤っている。早く諦めて堕ちてしまえと。
けれど、そうして私を惑わす瞳の輝きは甘く、私をやさしく騙すのだ。
彼の愛の言葉は、どうしてこうもすんなり私のコントロールを奪うのだろう。




彼は、魔物なのだ。




私を喰らう、魔物。私を陥れる為に存在する、愛おしい狂気の塊。
私に触れる指先の熱さはやたらと激しく、彼自身をも燃やし尽くしてしまうよう。




それなら、あの人はなんだろうか。




冷たい眼差しの目尻に浮かぶ、私を包み込む優しさ。
彼が私にかけてくれる言葉はいつも、訳がなくとも私を甘やかす。
意地悪を言うくちびるなのに、それはそう装っただけの睦言なのだ。
彼が私に求めるものとは、なんなのだろう。




彼は、月なのだ。




自ら輝きはしないのに、人の光を喰らって明かりを灯す。
他の何を殺しても、私だけを救ってくれる愚かしい献身。
私に手を差し出す為に負った傷は、いずれ彼を殺してしまうだろうに。






それでもいいのだと初めに言ったのは、一体誰だったろう。






「なァ、いい加減決めね?どっちかに」


幽助はそう言って私の腰を力強く引き寄せ、耳元で意地悪く囁いた。


「そうやってさんを責めるようなことはすんなよ」

そう言ってすぐさま、洋平が幽助の腕から私を優しく取り上げる。
そして「…嫌なら降りていいんだぜ?」と私の頬にこれ見よがしに口付けると、幽助は不機嫌を露に舌打ちをした。
ポケットから煙草とライターを取り出し、素早く箱から一本取り出し咥え煙草で火をつける。
もう一つ舌打ちをしたあと、灰色の濁った煙が私達の間を隔てた。


「幽助、」
「なんだよ」
「…煙草吸うなら窓を開けてって言ったでしょ」
「あァ?…あぁ、そうだったな、悪ィ」


かったるそうに腰を上げ、幽助が窓を閉めに行く。


世間一般の考えでは、常識ではおかしいことなのに、どうしてこの部屋ではそんなものがくだらないと思えるんだろう。

いや、このふたりと一緒にいると、だ。

ふたりの男の間でふしだらにもどちらとも決めかね、宙ぶらりんのままこうしてだらだら三人で過ごしている。異常だ。
私はそう言われても仕方ない、当たり前だ。他の女がこんな生活を送っていたら、私だってそう批難しただろう。
でもこうなってみれば私にも言い分はある。私は異常だ。けれど、私以上にこの男ふたりは狂っている。
異常どころの話じゃない。完全にトチ狂っている。異常も異常、完全に気が触れておかしくなっているのだ。

そうでなければどうして、平然といつまでも当たり前のように私に執着するだろう。
こんな優柔不断でだらしのない女、普通ならさっさと見切りをつけてしまうでしょう。

それが、この男たちは違うのだ。

私が決められない、どちらも好き、もうこれ以上は一緒にいられない。
自分の人間性が情けなくなって、もうこんな不毛なことはやめようと泣いて懇願すると、喜ぶのだ。
そしてやさしくわらって、言うのだ。ふたりそろって、なんとも甘い声音で。




―――どっちでも、好きな方を選んでいいよ。




私が辛い辛いと声を上げて泣けば、彼は言う。
――お前のその泣き顔が好きだ。――

もう無理だ、出て行って、私が取り乱せば彼は言う。
――そんなこと言わないで、俺が守ってあげるから。――


何がきっかけで、こんな悲しいことになってしまったんだろう。

思い出そうにも、もう遠い昔のことで思い出せない。
この男たちと出会った日のことさえ、記憶の彼方なのだ。私は薄情だ。



でも彼らは言う。私のことが、いとおしいのだと。



「…さん、気にすることないよ」

その言葉と同時に、私の前髪が大きな手のひらに攫われる。

「幽助さんの言うことなんか、何一つ聞かなくていいんだ。俺は、
好きでこうしてあんたの傍にいる。俺の勝手なんだ。
さんが気に病むことなんてないんだよ。な?」

露になった私の額に、洋平はそっと唇を落とした。おとぎ話の中みたいな、優しいキス。
私をひたすらに甘やかして、何もかもから守ってくれる。洋平が、私の王子様なんだろうか。
彼が無条件で与えてくれる愛情は、馬鹿みたいな妄想だって現実のように思わせる。
王子様の迎えを待っていられるような時間は、もう通り過ぎていってしまったものだとしても。

「、よう、へい、」
「ん?」

震える声に応えるように、触れるか触れないかのキスをくれるひと。
私を、大事にしてくれるひと。

こんな時、私は懲りもせずに思うのだ。
この男を、―――この男だけを、愛せたら。




「――――――馬鹿かテメェ」




喉の奥でくつりと笑ったかと思えば、彼は地を這うような低い声で言い放った。
無意識にはずんだ肩が、小刻みに震えだす。それを押さえつけるように息を吐きだすと、ゆっくり背後を振り返った。
幽助は私と視線が合うと目を細め、ふうっと紫煙を吐き出した。口元は愉快そうに笑っているけれど、目が全てを語っている。
カーペットの上に置かれたガラス製の灰皿に煙草を押しつけると、お前らホント馬鹿だろ、なァ、と笑いを滲ませながら呟いた。
完全に怒り心頭、というやつだ。

静かに笑う幽助というのは、心底楽しい時かあるいは――――

「バカはどっちだろうな」
「…あァ?」

「…少なくとも、テメェが惚れてるって女を泣かすような悪シュミな男は、人をバカ呼ばわりする権利ねぇんじゃねーかな?」
「っ、洋平!」
「いいから、さんは黙ってて」


私を庇うように背に追いやる洋平に、幽助はますます笑った。



「ふ、やめろよそういうの、…ははっ、く、マジ、もうおかしくって敵わねえって、
――――なァ、オレ自分より確実に弱い相手に、手ェあげたかねーんだけど」



洋平の背中で直接その目を見ることはなかったけれど、幽助がどんな風に私を見つめているか分かった。
あの鋭い光を宿した目で、上目遣いに私を真っ直ぐ捉えている。どこにも逃がしてやらないと、私の全てを掌握したかのように。

ぞくりと背筋が震えた。

「あんたがそうだから、俺は余計にこの人を放っておけねーんだよ、分かんないですかね?幽助さん」

鼓膜を震わせる洋平の低い声が、私に安心をくれるけれど。

「オレに言わせりゃ、お前がそうだからがダメになってくんじゃねェの?…おい、――――来いよ」

何もかもを透過して私を閉じ込めてしまう幽助の瞳は、その度に私の背筋を甘くなぞるようにして動けなくさせてくる。
ついさっきまで、洋平の優しさに浸っていたい、彼だけを愛したいだなんて思ってたくせに。
今この瞬間には、幽助の視線から逃れたくないと思っている。この男だけが、私の欠落を埋めてくれるような気がしている。


「、わ、たしは、」

「優しさが欲しいと思うのは悪いことじゃない、誰だってそうだ。
でもな、――――お前が欲しいものは、そんなモンじゃねーだろ?」

その声に引き寄せられるように、洋平の背中から進み出て幽助の方へ少しずつ身体が向かっていく。

「……幽助さん、そういう言い方すんのはナシって言ったでしょ、…忘れた?
この人、影響受けやすい繊細な人なんだからさ。…さん、俺のこと…見て」

洋平が私の腰を引き寄せたのが分かった。やっぱり、この腕は安心させてくれる。
でも、視線は意地悪く笑う幽助から離れない。

「テメェに言われたかねェな。お前がクスリみてェに甘やかすのと変わんねェだろ?
オレに文句言うンなら、まずその手ェ離してからにしな。
―――、お前が自分から来るってンなら、
…そうだな、お前が望むんなら…いいぜ?優しく愛してやっても」

…優しさなんて。

「、さん、」

私を引き止める腕は?

「…、私、は、」

「でも」

あと一歩が進めない私に、幽助は押しの一手と言わんばかりに意地悪く口端を持ち上げた。
ああ、わたしは――――。

「お前が望んでるのって…そういうんじゃねェだろ?お前には、オレじゃなきゃダメだよ。
ワケなんざ簡単だろ?お前が一番よく分かってる。なァ?

…お前――――酷いコトが、大好きなんだもん」


掴みどころのない冷たさと、


さん、いいんだよ、俺の話聞いて?…さんは、ずっと俺の傍にいて笑ってくれればそれでいいんだ。
言ったでしょ、俺が守ってあげるって。さんには、俺がいればいい、そうだろ?」

ひたすら燃えしきる情熱の間。

「―――――もう、やめて、」
「なんで?」
「あァ?」


だって、




「――――わたし、えらべない――――」




爽やかゑろすなドS
   VS
やさしすぎるドS

結果⇒×××