「寒いねえ」

 俺の言葉を、は鼻で笑った。なんて奴だ、この長い沈黙を破るためにやっとこさ口を開いてやったのに。まぁ、自分でもくだらないと思ったが。冬だ。十二月、いや、もう年も変わって一月なのにと。……そうか、もう2016年か。なんだか中途半端な響きだ。すぐに慣れてしまうだろうけれど。そんなことがふと頭に浮かんだ瞬間に、はどこか嫌そうな顔をして「徹って黙ってるの苦手だよね」とため息を吐いた。

 「え? そんなことないよ」
 「だっていつもヘラヘラ何かしら誰かとくっちゃべってるじゃない」

 なるほど、と思ったので俺はにこっと笑って「そう言うちゃんはいつもムスッとしてて何かしらに怒ってて誰とも話そうとしないよね」と返した。そして付け加える。「俺以外とは」と。するとはますます嫌そうな――いや、これは怒っている――顔をして、近くに置いてあったクッションで俺の背中をぼすんと殴った。

 「別に大学生にまでもなって、あっちこっちで人間関係築く必要ないでしょ。基本的には個人で済むじゃない。友達なんて少しで十分よ。でも徹の場合は友達ですらないようなのばっかじゃない」

 「素直に言えばいいのに。あっちこっちで人間関係築いて、大学生にまでもなって女の子に騒がれてる俺がムカつくって」

 はもう一度俺の背中をクッションで殴った。


 春には俺もも四年生になる。宮城から東京へ出てきて、もう三年も経った。今年が最後の一年だ。四回目の春はあっという間にやってくるだろう。三年前に色々様変わりしたように、また色々なことが自分の意思とは関係なく変わってしまうのかもしれない。と一緒に暮らしてからも三年だけれど、年が変わって月日が流れ――年が変わったばかりに考えることでもないけれど――この次の春にはどうなっているか知れない。俺たちは一緒にいるだろうか。今と変わらずに。

 かわいくない口を利きながらも、の足はこたつの中で俺の足にじゃれついている。こたつの中なのに冷たい。「冷え性つらい」というのはの口癖だけれど、かわいそうにと思いはすれどちょっとにやにやっとしてしまう。いつもまるで言い訳のようにそう言って俺にひっついてくるからだ。かわいいやつめ。

 みかんを一つ手に取って皮をむき始める。皮を全部むいてから、白い――白いなんだろう――も一つずつ、いや、一本ずつ? まぁなんでもいい。とにかくそれも丁寧に取り去っていく。
 するとは今さっきまで不機嫌そうな顔をしていたくせに、もうご機嫌といった感じでますます俺の足先で遊んだ。

 「はい、むけたよ」
 「うん」

 はにこにこしながら俺からきれいなみかんを受け取って、一つ食べる。二つ食べる。そして身を乗り出して三つ目を俺の口元へもってきて、「ん」と言うので素直に口の中へ入れてもらった。

 はいつもそうだ。俺が彼女に優しくしよう優しくしようとすると、こうしてお返ししてくれる。俺が優しくしよう優しくしようとするのは、どこへ行っても変わらず、俺を静かにしておいてくれない周りを、が嫌っているからだ。それを申し訳なく思うほど、俺は彼女に優しくしよう優しくしようと思う。そうしていれば、きっと捨てられることはないから。

 それなのには、何かと俺がすることに対してお礼をくれる。俺はそういうものを期待しているわけじゃなく、むしろこっちの都合でそうしているだけなのに。

 大げさな――お礼だと分かるようなものじゃなく、今のみかんみたいなものだ。はきっと、俺がみかんを手に取ったときから自分のためだと分かっていただろうし、それは大学の話になったからだ。でも、みかんの白いのを俺が取り去る仕草を見せるまで、俺が差し出すまで、なんとも言わない。彼女も彼女で危惧しているのだ。多分、きっと。俺が目移りでもして、のことを捨てやしないかと。もちろん俺はそんなこと一度だってしたことはないし、思ったこともない。そうでなくちゃ、今こうしていない。

 運良くお互いの志望大学が東京で、距離もさほど離れていないから、こうしてお互いの大学への中間地点へ部屋を借りた。お互いの両親は最初渋い顔をしていたが、結局俺たちの熱意に折れた。

 でも、この一年――そしてさらに、来年の春にはどうなっているだろう。こんな風に一緒にいられるとは限らない。相手に合わせて就職先を決めるなんてできないし、一緒に暮らすにしても今のようには上手くいかないだろう。生活スタイルもまた様変わりして、でも三年前のあの頃のような熱意を持って、お互いの時間的な、距離的なものを埋めることができるだろうか。

 口ではなんとでも言える。離れてたってずっと一緒だよとか、気持ちは絶対変わらないとか。でもそんなのって時間が経てば経つほど――大人になればなるほど、無理なことだと分かってしまう。
 さすがに会社に入ってまできゃあきゃあと騒ぐような人はいないだろうが、それでも距離ができればはきっと不安になるだろう。心配になるだろう。でも、それを今みたいにどうにかしてやることもできなくなるのだ。

 「この一年は、お互い忙しくなるね」

 「そうだね」

 「……、俺のこと好きじゃなくならない?」

 「それはこっちのセリフだと思うけど。大学生になってまできゃあきゃあ騒がれてる人が、これからどうなるんでしょうね。今度はお付き合いじゃなくて結婚狙ってくる人が出てくるよ、知らないけど、多分」

 あぁ、そうか。結婚。と思った。ずぅっと一緒にいたからか、不思議なことにちっとも思いもよらなかったけど、永遠に一緒にいられる方法があった。結婚だ。紙切れ一枚で成立してしまうようなことだけど、それはまた別の紙切れを出さなければずぅっと一緒にいることを保証してくれる紙切れだ。結婚したら絶対に――何か特別な大事件(浮気とか? まだ想像がつかない)がなければ――ずぅっと一緒にいられる。距離のことも考えなくて済む。だって、家に帰ったらがいてくれる。家を出るときにもが送り出してくれる。紙切れ一枚で成立してしまう簡単なことなのに、なんて素敵なことだろう。

 でも、俺は知っている。その紙切れ一枚で成立してしまう素敵なことには、色々なものが必要だってこと。また親に――うちの親は問題ない。をいたく気に入っている――今度はの両親に「娘さんをぼくにください」と、相当な熱意と誠意でもってお願いしなければならない。でもまぁ一番現実的なのは金銭関係のことだろう。まだふわふわした想像しかできないけれど、独り身よりずっと大変だろう。色々と制約ができたりして(飲み会の参加は月に一回、みたいな? こっちもまだ想像はつかない)。

 それでも絶対にと一緒にいられる方法がこれなら、俺は今すぐにでも紙切れを出しに役所へ駆け込みたい。でもその前にプロポーズが必要だし、そのためには指輪が必要だ。今はもう“給料三ヶ月分”なんてこともないらしいし、何よりきっと婚約指輪にそんなお金を使ったらはブチ切れるに違いない。記念品なのに、「バカじゃないの?! お金もったいないことして!!」とか言って。が絶対に「うん」って頷いてくれるなら、給料三ヶ月分の指輪だって、どんなに辛いことがあったって準備できるのに。それもこれも、とずぅっとずぅっと一緒にいるためなら。


 「……俺のこと、好きじゃなくならないって言って」
 「何よ急に。やっぱり黙ってるの苦手なんじゃない」


 俺はほんとうによく考え込んでいたようで、しばらくの間は沈黙が続いていたんだろう。
の手元には、もうみかんはない。あ、もう一つむいてあげよう。
 俺はぱっと思い立って、すぐさまみかんの入ったテーブル用の小さなカゴに手を伸ばした。
はそんな俺をじっと見つめて、なんだか呆れたようにため息を吐いた。

 「こんなダメな人のどこがいいんでしょうねー、きゃあきゃあ言ってる子は」

 俺は笑った。それでもみかんをまた丁寧にむいていく。

 「ダメでいいよ。俺、のまえではダメでいたっていいんだもん」
 「なぁに、それ。わたしのまえでは“かっこいい及川くん”でいてくれないんだ」
 「え、、そういうのがいいの?」

 俺がそう言ってまた笑うと、なんだか仕方なさそうにも笑った。こたつの中で足が絡まる。あ、ちょっと温かくなってきたかな? でもまだまだ芯のほうは凍っているかもしれない。今度は俺がの足にじゃれつく。「分かってるくせに」とは言いながら、俺の手からみかんを奪ってしまった。まだ全部むけてないのに。「ねえ、まだ全部むけてないよ」と俺が言うと、「たまにはわたしが徹にむいてあげる」とは言った。けれどこれがまたヘタクソで、俺の真似をしてむいているんだろうけど白い――白いアレが全然キレイに取れてない。俺はそれがおかしくて、「やったげるから貸して」と何度も言ったのだけど、はムキになって「いや。わたしがやるの」と聞かなかった。


 あぁ、こんな風にまったりゆったり時間が過ぎていって、煩わしいことも大変なこともないまま、穏やかな日々ばかりが続けばいいのに。みかん一つでああでもないこうでもないなんてくだらないこと、ずぅっと言い合っていたい。そんなの飽きちゃうじゃんなんて言う人もいるだろうけど、俺にはこれで十分だ。


 「むけた!」
 「うわ、へったくそ」
 「ちょっと! せっかくむいたのに!」

 むき終わったと誇らしげに俺に見せてきたみかんは、むけてはいるけどやっぱりキレイじゃない。

 やっぱりには俺がいなくちゃダメだなぁ。だって白い――スジだ! スジ!――がないキレイなみかんが好きなくせに(そこに栄養があるとか聞いた気もするけど)まともにむけないんだもん。
 年明けで急に暗くなっちゃうようなお豆腐メンタルな俺でも、「ダメな人」と言いながら愛してくれるがいる。俺にもやっぱりがいなくちゃダメだ。

 だからこの先、死ぬまでの間ずーっと、冬になったら俺はにみかんをむいてあげよう。この先何が起きるとしても、俺たちはきっとお互いに「ダメな人」って思いながらも、ここぞというときにはとびきりの熱意でそれを乗り越えていけるはずだ。




あけましておめでとうございます!
2016年も皆さまに楽しんでいただけるような更新を目指して励みます。
今後とも『発掘』をよろしくお願い致します。





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