なんでも与えられる。俺が一言、欲しいと言えば。俺にはそれを叶えてもらえるだけの責任がいつも、何をしていてもついて回るのだ。周りは言いやしないけれど、つまりは俺のその責任への対価なのかもしれない。
 俺はそのことが目当てで今の立場にいるわけではないし、すべてが叶うしなんでも手に入ると言われたって、こんな椅子へと座りたくはなかった。でも、その思いは今や過去形になって、俺は今、この立場を誇りに思っているし――この椅子から離れてはならない理由が、もう一つできてしまった。

 「好きよ」

 は何を思っているのか、窓の外を見つめながらそう言った。
 望めばなんでも与えられるから、彼女がほしいと言った時、周りはすぐに応えてくれた。今まで何も望まずにいたのがよかった。だから、俺の相手としては少し足りない――もちろん俺自身はそんなこと微塵も思っちゃいない――が、は数いる俺の婚約者“候補”に名を連ねている。正式な婚約者を決めるには、今のところ色々な事情があったり、そもそも決定自体に複雑な手続きが必要なので、その段階へと進めずにいる。しかし、俺の気持ちは決まっているのだ。
 は現段階では婚約者“候補”の一人だが、あとほんの少しすれば正式な、たった一人の“婚約者”になる。彼女自身もそれを知っているから、俺が何も言わずとも、俺が欲しいと思っているものをこうしていつでも与えてくれるのだ。

 「俺もだよ、愛してる」
 「……昼間は暖かったのに。肌寒いわ、信じられない」

 ただ、望めばなんでも叶うはずなのに、俺の愛の言葉に何も思ってはくれない彼女には、俺は何かを与えることはできない。
 女性ならきっと喜ぶと言われて用意してみたジュエリーだって、彼女のためだけにあつらえた世界に一着きりの特別なドレスだって、意味はない。身に付けてくれても、喜んでくれないのなら。
 今夜のためにに用意したドレスは、何から何まで彼女にぴったりと合わせた特別だ。だからパーティー会場で一等綺麗だったのはもちろん彼女だったし、こうして二人きりでまじまじと見つめてみれば、この世の綺麗なもの全部を集めた姿が彼女だと言われたって頷けるほどだ。けれど、どうしようもない。
 ちらりともこちらを見ないの肩にジャケットを掛けてやって、俺も窓の向こうを見てみる。なるほど、今夜はいい月だ。どこまでも照らしてしまいそうなほど。

 「そうだね、もう気温は安定してくるんじゃないかな。過ごしやすくなったと思うよ」

 俺のジャケットをぐっと握る手が震えている。

 「……けど、用意したものが悪かったのかな、次はもっといいものを作らせるよ」

 どんな女性でも喜ぶジュエリー。彼女にしか着ることのできない、世界に一着きりの特別なドレス。今までどれだけ用意しただろう。きっと、きっと今度こそ喜んでくれるはずだと、毎度期待して。
 そのうち彼女の部屋のクローゼットをいっぱいにしてしまったから、衣装部屋だって別に用意した。彼女のために用意した品物はいくらだってある。けれど、どんなものを用意したってだめなのだ。彼女が今身に付けているどれをも、彼女が受け入れてくれないなら必要じゃない。今までもこれからも、宝石だのドレスだの、そんなものいくつあったって、彼女が応えてくれないなら全部、ただのゴミだ。
 それでも俺は、きっと次はと思うのだ。なんでも望めば叶う俺なら、彼女が望むものも叶えてあげられる。きっと。
 はゆっくりとこちらを振り返って、溜め息を吐いた。疲れた目で俺をじっと見つめながら、「そうたくさんいらないわ、もう充分よ。あなたはわたしになんでも与えすぎるわ」と言うと、ベッドへそっと腰を下ろした。

 「そうかな」

 少し間を空けて、俺も隣へ座る。は俯いて、けれどしっかりした調子で「そうよ」と応えた。

 「それじゃあどうして俺を愛してくれないの」

 これを聞いて、は素早く顔を上げると、目をぎらりとさせて俺を睨みつけた。鋭すぎる視線は、俺の心の大事な部分――彼女を愛するための器官が、傷つけられるようだと思った。

 「……どういう意味?」

 傷つけられるよう? いいや、傷つけられている。

 「俺が聞きたいよ。きみはどうして俺にこんな質問をさせるの?」

 けれど、怯んだりはしない。彼女がどういう気持ちでこの目をするのだとしても、俺にはどうしたって彼女一人きりで、彼女が言うように“代わり”になるような人がたくさんいたとしても――という俺が愛する存在に、“代わり”はいないのだから。
 俺が望めばなんでも叶う。それなら、そうして与えられた運命の人には、俺が与えなければ。

 「あなたが何を言いたいのか分からないわ」

 がそう言うのは、俺の愛情を理解しようとはしないからだ。いや、愛情を注がれているということを理解しようとしないのだ。いっそ、愛情そのものを知らないというほうが余程マシなのに。
 俺はに何かを与えるたび、そのことを突きつけられるけれど、俺が俺である限りは何度でも次の機会が与えられるから諦めたりはしない。
 ただ、俺の愛情を理解しなくとも、その矢印の先に自分がいることを分かってはいるのだ。それがどうしてなのか。その理由を理解するまではいかなくとも。それなら、俺がこう問うことは許されていいはずだ。
 膝の上でそっと組まれているの手に、自分の手を重ねる。何か言いたげに震えたのには気づかないふりをした。

 「、俺はきっと、きみが望む男ではないんだろうけれど、それでもきみの恋人で、いずれかはきみの夫になる。それなのに、愛してくれないのはどうして?」

 は皮肉げに唇を歪めて笑うと、言った。

 「……恋人? それは違うわ。わたしはあなたのたくさんいる婚約者の中の一人で、たった一人の恋人とは違う。だからあなたはこうして屋敷にわたしの部屋を用意して、必要でもないドレスや宝石をわたしに贈るのよ」

 馬鹿らしいとでも言いたげだ。俺はそう思ったけれど、実際彼女の言葉を他に言い換えるとしたら、きっと“馬鹿らしい”なんだろうから、むしろはっきりと俺を嘲笑っているんだなと思い直した。
 それにしても、この屋敷に部屋を持っているのは一人きりで、俺が用意するドレスはにしか着られないドレスで、宝石だって合わせて用意するんだから結局彼女しか身に付けることはできないものだ。他にこんな“特別”を用意している相手なんていやしないのに、それでも自分を多くの中の一人と考えるのは随分と変わった考え方だ。
 けれど、“特別”だと人に言われて、それを素直に受け入れることが難しい人種がいることを、俺はよく知っている。そうすると俺は、「周りがきみを、俺の“婚約者”だと呼ぶから、そう思うの?」と言うことになる。
 はじっと俺の目を見つめながら、まるで小さな子どもに言い聞かせているような調子でゆっくりと、そして切々と語った。

 「ねえ、多くの人がそうだと認めるから、そうなるものってあるのよ。ううん、きっとそういうふうに成り立つもののほうが多いの。だからわたしはあなたの婚約者だし、あなたはわたしをそうだと思って、そういう振る舞いをするのよ。そしてそのうち、どうしてそんなことになったのかって思い始めて、きっと愛情があるからそうなったんだって思うようになったの。周りを鏡にして、あなたの認識がそうなったの。自分の内側を意識して、そのうえ自覚するって実はとても難しいことだから、安易に鏡に映ったものを信用してしまう。それだけのことよ」

 ――鏡。そうか、なるほど、上手いことを言う。
 俺とは、とてもよく似ている人間だ。人から寄せられる様々な感情に対して、自分の感情をうまく整理できない。だから俺は彼女の言うことが分かる。彼女が俺の愛情を認めるどころか理解しようという姿勢すら見せないのは、そういう捉え方をする土台がそうさせているのだとも。俺はそれらのことを分かっているから、この先も分かる。
 きっと俺はこのままぐずぐずと、の気持ちが追いつくのを待つだとか、そうやって彼女は甘く見ていることだろう。けどもう遅い。俺の心はずっと、一人っきりに決めているのだから。俺は初めから、鏡なんて覗いていない。




 いよいよ、その時がきた。正しく言うと、俺が望んでその日を早めたのだ。俺が言うならそうしたほうがいいだろうと周囲は頷いてくれた。
 たくさんの“候補”はほとんど、ボンゴレに取り入りたい組織のお嬢さんだとか、各界の有力者の孫娘だとかで、ボンゴレの影響力の強さを誇示するという意味でその役割を与えていただけのことだった。俺の振る舞いからして誰が正式な婚約者となるか、初めからみんなが分かっていたのだ。だから特に苦労することなく、俺の指示通り事は進んでいった。
 あとは、書類関係の手続きを残すのみだ。
 結婚式の準備は大方終わって、各方面への挨拶は来月にパーティーを開くことにしている。もうすべてが整った。はこれで俺のたった一人の婚約者になるし、彼女が頷きさえすればすぐにでも式を挙げられる。
 俺には決まった覚悟がずっと胸にあるので、何も躊躇わなかった。だからこそ、ずるずると不安定な関係を続けていくのを良しとはしなかったし、その証拠に、こうして彼女を待つ気も一切ない。
 疲れたような声で、は「あれだけ言ったのに、結局聞いてくれなかったのね」と言うけれど、俺は決まりきった心を変えることなんてしないし、それを望んでもいないのだから当然だ。俺のほうこそ、今日こうしてすべてが決まったことを告げるまで、色々なことをにしてきたつもりだったけれど、それでも俺の愛情を理解しないのだから、そっくりそのまま返してやりたい。あれだけ言ったのに、結局聞いてくれないね、と。
 は神妙な顔つきで、神託でも受けたみたいに言った。

 「……もうこれで後には引けない。あなたに必要なのは、鏡が必要になるような女じゃなかったのに」

 周りが自分をどう評価するか。それは恐ろしく思えることだけれど、それによって自分の価値を見い出せることもある。
 俺は周りから寄せられる期待に怯えながら、うんざりしながら、嫌々“ボンゴレ十代目”の椅子に座ることになって、いつもドキドキしていた。人の期待を裏切らずにいられるか。多くの人が見ている俺は、正しい“ボンゴレ十代目”なのか。
 けれど、俺は俺に与えられる責任にいつしか誇りを抱けるようになった。周りの期待が、俺をそこまで押し上げてくれたのだと思う。寄せられる思いに応えようと思った時、人は変わり始めるのだ。
 だから俺は、自分の決めた覚悟に疑問を持ったりしなければ、それを変えようと思うこともない。
 人を鏡に自分を見てみた時、落胆することもあればとても嬉しいことだってあるだろう。けれど、その鏡にばかり気を取られていてはいけない。鏡に映った自分をどう受け止めるか――そしてその姿をどう変えていくか。すべて自分次第だ。
 俺は自分の目に実際に映したものを信じている。俺の目に映った、のことを。

 「周りの評価を――鏡を気にしているのはきみだけだよ、。きみは俺が選んだんだ。誰にも……もちろんきみにも、文句は言わせない」

 俺の言葉を受けては目を見開くと、それからどこか呆れたように溜め息を吐いた。

 「……後悔したって知らないわ」

 「後悔することはないからいいよ。それじゃあ、サインしてくれる? 婚姻届」

 俺が差し出す誓約書をまじまじと見つめて、それから慎重に受け取ると、は肩をすくめて呟いた。

 「こんな結果になるなら、あなたが近づいてきた時に気を許すんじゃなかったって、今とても後悔してるわ」

 けれど、ペン先にはちっとも迷いがなくて、が変わり始める瞬間は、きっと今この時だと思った。
 すべての欄を埋めたが、俺に届を返してくる。空白がない、彼女の名前がある。俺はとても気分が良くなって、思わず鼻歌でも歌ってしまいたくなった。

 「さぁ、忙しくなるよ、。来月のパーティーで、きみを正式な婚約者として紹介しようと思ってたけど……これにサインしてくれたなら話は別だからね。来月のパーティーは結婚式に予定が変わった」

 は俺の目をじっと見て、「……あなたは、わたしになんでも与えすぎよ」とだけ言った。
 俺が望んだことは、すべて叶えられる。






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