机に肘をついて頬杖の格好をしながら、「おまえさァ」と俺が口を開くと、は不機嫌そうに短く「なに」と言った。大事なのは、クエスチョンマークがないところである。コイツ、俺の話を聞く気がまったくない。まだ何も言ってないのに。

 「なんでもかんでもすぐ及川に頼るクセ、どうにかなんねぇの?」

 まぁ黙っていても仕方ないし、いつまでも引き延ばしていていい問題でもないので、俺はきっぱりと言い切ったわけだが、それに対してもは不機嫌そう――いや、顕に、短く「は?」と言うだけだった。今度はクエスチョンマークがあったところで嬉しくない。
 ついでなのでこれも言ってやろうと、「あ、あとそれも」と付け足した。

 「それってなに」
 「それだよ。そのかわいくない態度」
 「は? はなまきくんにかわいい態度とる理由ないけど」

 俺とおまえとの間で、おまえが『かわいい態度とる理由ない』なら、逆になんだったらかわいい態度とってくれんの? って話である。
 そもそもの話、こんなことが問題になること自体がおかしいのだ。そのことになぜ当事者であるがまったく気づかないのか、俺は不思議でならない。
 じっとを見つめるも、面倒そうな顔しかしないのでどういうことだってばよ。

 「いや、理由あるデショ。っていうか冷たすぎ。……及川には『とーるくん、とーるくん』って甘えた声でなんでもかんでもお願いしに行くじゃん」

 俺が若干厳しい声でそう言うと、はムッとしたように「はなまきくんにどうこう言われることじゃないんだけど。ていうかキモイ、裏声とかやめて。あと甘えてないしなんでもかんでもお願いしてるわけじゃないもん」と返してきたのでやっぱりどういうことだってばよ。

 そこに問題のもう一人の当事者である及川が、ひょっこり廊下から顔を出して「あ、ちゃーん。辞書かしてー」とにこにこ笑いながらこっちに向かって手を振っている。
 するとはさっと立ち上がって机の中から電子辞書を取り出すと、それを持ってたたっと及川のほうへ駆け寄っていった。

 「うん、いいよー。あ、ねえねえ、とーるくん、ジャージ」

 「ん? あるよ〜。言うと思ってね、持ってきたの! はい」

 「うん、わたしのだと思ったぁ。ありがとう」

 「ううん、いいんだよ〜、ちゃんのためだもーん。あ、そうだ、月曜どうするかついでに聞きたかったんだぁ! どこ行きたい? っていうかお母ちゃんがね、ちゃんとお出かけしたいから、日曜泊まって、月曜ウチから一緒に学校行けば? って言うんだけど……」

 また始まったふざけんなコレだよ問題っていうのは!! と俺も立ち上がって二人のところへ向かう。

 「オイ」

 「あ、マッキー! あの……さっ?! イッタァ!! 何?! なんでガチで殴んの?! 俺なんかした?!」

 オイという一言と同時に思わず手が出ていたようだが、俺は謝る気はさらさらない。いや、なんで俺が謝んなきゃいけないの? って話なのだ。
 ここらで俺の言う“問題”というのも分かってもらえると思う。

 「なんかしたじゃねえよ進行形だろうがありとあらゆる骨ブチ折るぞッ!!」

 「えっ、なに?!」

 「とーるくんだいじょうぶ? ねえ、さっきからなんなのはなまきくん」

 ブチッという音が自分の耳ではっきりと聞き取れた。

 「なんなのはこっちだっつーの! おまえらもう二年前に別れてるだろうがッ!! んでは俺、及川も名前知らんけどカノジョいんだろうがッ!! つーか及川んちの母ちゃんどうなってんだよ別れたの言ってないワケ?!?!」

 俺がそう怒鳴っても、もはや周りはなんにも反応してくれないどころか、また始まったというようにめんどくさそうな顔をするので納得いかない。
 だってどう考えてもおかしいのはコイツら二人で、どう考えてもかわいそうな被害者は俺だけである。誰かしら俺の味方してくれたっていい状況のはずだ。なのにみんなシカトとかクラスメイトとしての情はないのかよっていう。いや、俺もおまえらの立場だったらシカトしてるわ正直休み時間のたびに騒ぎ起こしてゴメンとしか言えないゴメン。

 「「だから?」」

 そして俺の一人相撲感はどうにかならないのだろうか。
 コイツら絶対おかしいのになんで事の異常性に気づかないの? 意味が分からない。頭の構造どうなってんだよ。

 つーかその前に。

 「ハモってんじゃねえよ仲良しアピールかッ!! ……じゃねえよおかしいだろなんだよ『だから?』って!! ハァ?!?! なに? 新しいタイプの浮気? 正々堂々? むしろ別れてません的な? つーか俺以外のみんなの理解得てます的な?? なに?? なんなのおまえら?? は??」

 ますます一人相撲感が高まってきたわけだが、毎度毎度コイツらは俺の怒りを買うこと、煽ることしかしない。
 俺もそれは充分に分かっている。今までずっとそうだった。
 なので今回も今までと同様、何も変わりなく俺の怒りゲージMAX振り切る近い未来見えてる。

 「えっ、だって別にやましいことないよ? キスもエッチもしてないもん。ね?」

 きょとん、とでも擬音がつきそうな感じで及川がそう言うと、も当たり前という顔で「うん。ただ仲良しなだけだもん」と答えるので頭が痛い。

 「んふふ〜、ちゃんむかーしから俺のこと大好きだもんねえ〜」
 「とーるくんだってわたしのことずーっと大好きでしょ」

 いや、おかしいデショ。何回言わせんの。
 何度言ったってどうせ同じ答えしか返ってこないので、とりあえずこれ以上ツッコむのはやめよう。
 この問題の被害者は俺だけだと言ったが、もう一人いるのだ。この場にはいないが。

 「……待って、オッケー、とりあえず、とりあえずソレは置いとくわ。……及川サ、おまえ自分のカノジョの気持ち考えたコトあんの? 元カノといつまでもイチャイチャイチャイチャしてて、それでいいとか思ってんの?」

 そう、俺にが――に俺がいるように、このクソほどチャラい及川にもカノジョがいるわけである。なのにどういう気持ちで元カノとイチャイチャしてんのっていう。俺の気持ちは当たり前だけど、そのカノジョのことを思うと俺も立場的には複雑ではあるが、やっぱり状況としては同じく被害者なので同情すんなというほうが無理な話だ。
 ……アンタ自分のカノジョくらいちゃんと見張ってなさいよとか言われたらホントすんませんしか言いようないけど、でも分かってほしい、俺も毎日必死で生きてる。できることなら共闘しよう。なんとかなりそうな気がする。……少なくとも俺の一人相撲感はどうにかなるじゃん……。
 それにしたってこのチャラ男はホンット性格悪いな人の気持ち考えたコトあんの「え、だって俺ら三人でも遊ぶし……そもそも今のカノジョ、ちゃんの後輩ちゃんだし。ね?」かよ……っていう……。

 「うん」

 「いや、後輩だからなんなの? つーか余計にイヤだろ。何考えてんの? しかも三人で遊ぶとか……でなんでデートのジャマすんの? しかも後輩の」

 しかも後輩かよしかもの後輩かよ泥沼もいいトコだなコイツらマジで頭の構造どうなってんの?
 思わずしゃがみ込みそうになりながらなんとか言うと、はそんなこと言われる意味が分からないというような顔で(なんでだよ)首を傾げると、「え」と一言呟いたあとに答えた。

 「ジャマしてない。ちゃんがさそってくれるんだもん」
 「……は?」

 まったく意味分からんと眉間にしわを寄せる俺に、及川がのんびりと答える。

 「そうだよ〜。俺とちゃんがヨリ戻すまではずーっと今のままがいいって、あっちが言うんだもん。ていうかアレはちゃんとのデート。俺はオマケ」

 思わず一時停止した。
 いや、もうわりとマジでコイツら宇宙人とかそういう俺とは別の生命体じゃね??

 「…………待って待って待って? 頭痛い、なに? え??」

 片手でこめかみを押さえて俯く俺に、及川は容赦なく撃ち込んでくる。

 「あの子、ちゃんのこと大好きだからねえ。ついでに俺のルックスも大好きだからねえ。ちゃんのおまけに俺がいるとうれしいみたいで、ヨリ戻してほしくてしょうがないんだよ〜。マッキーがいるからって言ってるのに『及川さんのほうが先輩に(ルックス的に)似合う』って聞かないんだよね〜」

 「オイその後輩ちょっとココまで連れてこいや……」

 どういうことまともなヤツ誰もいないの?? と怒りを通り越し混乱さえも消え失せてもはや『この世は無常……人の心もまた然り……』みたいな悟りの道開きそうなところで、が唇を尖らせて「とーるくんとはもうぜったいヨリなんか戻さないって言ってるのになぁ」と拗ねたように言う。どういうこと何その顔どういう感情カレシ俺デショ??

 「えー、なんで?」

 「なんで『なんで?』って思うんだよ俺がいるからに決まってんだろうがッ!!!!」

 及川の言葉に怒りを思い出して怒鳴ると、は難しい顔で「だってとーるくん、すぐよそ見するからいや」と言い出し、及川も「しないよ〜。ちゃんがいちばんだもん」とか言ってそれにが悩んでいますとでもいうように「ん〜」と唸りはじめるのでマジどういうことだってばよ。

 「オイッ!! おンまえ……ッ!!」

 いくらなんでも――と思って、ここはもういい加減ハッキリと俺がカレシなんだと言い聞かせようとしたのだが、はなんてことない、当たり前だから、というような調子で「とーるくんがわたしのこといちばんなのは知ってるけど、わたしのいちばん、今はとーるくんじゃなくって、はなまきくんだから……やっぱりむりだねえ」と言うので俺は涙でも出そうな気持ちになってしまった俺カレシなんだから当たり前なのに……。
 「えー?」と不満げな及川なんぞどうでもいい。そんなことよりもはちゃんと(というのはどう考えてもおかしいがこの際だから置いておくとして)俺をカレシだと認識している……。

 「…………。うん、そうだよネ、俺がイチバンだよね、知ってる。信じてた。よし、イイコのチャンにはクソ及川の指定ジャージではなく、俺のバレー部ジャージを貸してあげよう。ハイ、それポイしなさい」

 「でもジャージはとーるくんのがいい。あと、日曜はお泊まりする」

 ……なんだと……?

 「うん、そうだよね、俺がいいよね、知ってる。信じてた。よしよし、いい子のちゃんには、バレー部主将のとーるくんのバレー部ジャージ貸してあげるね〜。日曜の夜はお母ちゃんと一緒に、俺のご飯つくってね〜」

 ンなバカな話があってたまるかという話のまえに、だからなぜソレが正しいことみたいに通ると思ってんだか聞きたい。

 「なんっっっっでが及川んちで及川の母ちゃんと及川のメシ作んなきゃなんねーんだよいい加減にしねえと頭カチ割んぞ……ッ!!!!」

 「ええ? やだぁ、マッキーもしかしてやきもち〜? いっくら俺とちゃんが別れて二年も経ってもラブラブだからってそんなの気にすることないのに〜今のカレシはマッキーなんだよ〜?」

 ……てめえ殺すぞ……と思いつつ、きょとんとして「そうだよ、なんでそんなに怒るの?」とかなんとか言い出すが腕に抱いているジャージをじっと見る。…………こんなモンがあるからいけない……。

 「チャン。まず、クソ川の、クソジャーを、ポイ、しなさい」

 「ちょっと待ってごめんマッキー岩ちゃんみたいに悪口略すのもやめてほしいけどクソジャーとかやめてお願い」

 「うるせえ黙ってろゴミクズ。チャン、ポイは?」

 俺の言葉に、は小さく応えた。

 「とーるくんのがいい……」
 「ん?」
 「とーるくんのがいいのっ! はなまきくんのはいやなの!」

 ……ショック受ける以外にどうしろと。

 「なんで」

 「だ、だって、はなまきくんのはやなの〜!!」

 「……なんで泣くの……。俺もクソ川のクソジャーでカノジョが彼ジャーとか泣くわそんなの」

 いよいよ俺はその場に座り込んだ。なんだってカノジョに元カレのほうがいいって言われて、あげく泣かれなくちゃなんないんだ立場ねえよ……っていう。

 「待って待ってやめてって言ってるじゃん!」

 及川とかホントクソどうでもいいわっていうか今までにないほどの殺意を感じているぞ俺は……おまえのジャージなんぞ“クソジャー”でもまだマシだわふざっけんなよホン「だって、だって、はなまきくんのジャージで彼ジャーしたくないもん、かえせなくなっちゃうからしたくないもん、」ト……。

 「……ん?」

 「だってわたしワガママだから、はなまきくんにあまえちゃったら、はなまきくんわたしのこと、いやになっちゃうから、やなんだもん、だからとーるくんでがまんしてるのに、なんでいじわるばっかりいうの、」

 とおるくん“で”ガマンとか及川クソザマァと思いながら、俺はよっこいせと立ち上がった。次にやることは決まっている。

 「…………よし、チャン。おうち帰ろうか。ウン、それがいい。おうちに帰ろう。はなまきくんちの子になろう。じゃ、帰る」

 「んんんんん???? 意味がちょっとだいぶ分からない〜????」

 まったく、最初っから素直に俺のコト大好き大好き〜! って言っておけばいいものを……と思いつつ、俺はにんまりとしてしまうのをガマンすることはできなかった。
 ザマァな及川にもう一発ザマァをくれてやろうと、俺はサクッと言いたいことを言ってサッサと教室を出ることにする。

 「だからウチに連れて帰んだよ。クソほどイチャイチャイチャイチャするって今決めた。部活には出るからオッケー。チャンは日曜はお泊まりしません。月曜は俺とお出かけします。以上、サヨウナラ。あとは任せた」






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