移ろうものを、彼女は愛している。季節はもちろんのこと、色を変えていく草花も、それと共に香りを変える風も、今日のまえに存在していた昨日も。それから、愛も。
 自身が移り気な人間で、常に誰かを愛している。博愛主義者かというと、それは違う。彼女は時と共に変化していく愛情、その形を愛しているのだ。相手がどこの誰であるとか、そういうことはまったく関係ない。彼女は変わりゆく人の感情を、要するには“観察”したいのだ。だから、相手はどこの誰だって構わない。
 けれど、彼女がたった一人、何があっても愛さない人間がいる。それが、この俺だ。

 「きみはどこの誰であれ……それこそ、敵対ファミリーの構成員だって男さえ愛すのに、どうして俺だけは選んでくれないんだろうね」

 いつも遠慮なしにここ――執務室――へと顔を出すので、突然扉が開かれてもいい加減驚きはしなくなった。ただ一つ言えば、は常に変わり続けることを貫くため、決まった時間というのはない。秒ですら被せてはこないので徹底している。きっと彼女はコンマの世界まで把握しているに違いない。
 は肩を竦めて「さあ。わたしにも分からない」と言ったあと、思ってもいないだろうに可憐な笑顔を浮かべながら「あなたほど素敵なひとって、きっとこの世にはいないのにね」と続けた。
 俺は思わず笑ってしまいそうになったが、俺がそんな反応を見せたところでは特別何を思うでもないだろう。むしろ嫌がるかもしれない。俺が彼女のすることをすべて許してしまうのは、何よりも愛情だけが成せることであるから。

 「そうは言っても、愛してくれない」

 向き合っていた書類から目を離して、万年筆をホルダーに収める。ゆっくりと視線を持ち上げての顔を見てみれば、なんてことない顔をしている。俺には微塵も興味がないという顔だ。それを見て俺は毎度悲しくもなるし、辛くも思うのだけれど、どこかで安心したりもするのだ。のこの、興味がないという顔は、いつだって変わりない。昨日もそうだったし、今日もこの通りだ。
 立ち上がって窓を開けると、陽はぽかぽかと庭を照らしている。しかし、風は今日も冷たい。暖かく過ごせるようになるには、まだ足りないようだ。
 は断りを入れることもなく、当然という顔で応接用のソファへと体を沈めた。遠慮なしに脚まで組む。本当に毎日毎日ここへ顔を出すので、きっと当たり前にくつろぐことができるのだ。俺はそれを特に指摘しない。俺が指摘しないということは、他の誰も指摘しないということだ。彼女はそれがどういう意味だか分かっているんだろうか。
 はマニキュアの塗られた指先を明るい光にかざして、色の具合を確かめながら「そうね。きっとこの先もずっとそうよ」と平淡に言った。

 「どうしてそう思うの?」

 の前へと座ってそう聞くと、彼女はにこりと笑った。
 愛らしい唇はとんでもないことを言い出すのだけれど。

 「だって、あなたはずっと変わらないでしょ。昨日だって今日だって明日だって、あなたは人を守るし、何も裏切らない。もし、あなたが誰かを傷つけて、何もかもを裏切るようなひどいことをしたなら、話は別かもしれないけど」

 「……そんなことできないって知ってるくせに、よく言うよ」

 思わず溜息――それから少しの笑いを含めてそう言うと、はつまらなそうに、しかしこれが本題だというように、きっぱりと言い放った。

 「ほらね。だからもうやめましょうよ、あなたいつまでわたしのこと愛してるって言うの?」

 そう言って仰々しい溜息を吐くに、俺はいつも通り笑ってみせる。
 そして、昨日と同じことを言うのだ。

 「きみが俺を愛してくれるまで」
 「ふぅん?」

 は目を細めて、値踏みするかのように俺をじっと見つめる。
 そんなふうに俺を見るのは何も彼女に限ったことではないけれど、特にこのは毎日この目で俺をそう見るので慣れっこだ。
 俺は臆することなく応える。

 「それからずっと、俺のそばにいてくれる限り愛すって誓うよ」

 俺の言葉を聞いたあと、はもう一度「ふぅん」と呟いて、それから肩を竦めた。

 「きっと普通の女なら喜ぶ台詞なんでしょうけど、わたしはちっとも嬉しくない。誓いって何よりひどい代物よね。不変こそが一番の毒だし、一番の罰よ。それを望んで生きてるひとが多いようだけど。嘆かわしいことだわ」

 憂いげな目をして、そっと窓の外へと視線を送るには、この世界はどう映っているんだろうか。
 彼女は不変を毒だと言うけれど、俺たちが身を置く世界では、変化こそが時として猛毒となるのだ。
 絶対なんて言えるものはないけれど、約束された変えようのないルールがあるからこそ守られているものもあるのだから。
 そうは言っても、俺は過去を懐かしんだり、それを慈しむことだってあるけれど、特に懐古主義というわけでもないのでそれにこだわる気はない。時には大胆な変革も必要だ。
 けれどその一方で、やはり変わらないからこそ人の心を揺さぶるものがあるということを、俺は信じずにはいられないのだ。
 そう、たとえば――。

 「そうかな。変わらないからこそ美しいものだってあるだろう」
 「たとえば?」
 「俺のきみへの愛情」

 俺が言うと、はやっぱり嫌な顔をしたけれど、俺は本気でそう思っているのだから仕方ない。
 愛情も、それが永遠だとは約束できないものだ。だとしても、それを願うくらいはしたっていいし、誰もがそれを夢見ることがあるはずだ。相手が変わる日がくるかもしれないと思って、目の前のひとを愛するひとはいないだろう。愛するひとを目の前にしたら、このひとこそが自分の永遠で、最後のひとだと言いたいだろう。
 少なくとも、俺がに感じているこの愛情というやつは、そういうものだ。
 けれど常に変化を求める彼女からすれば、こういう俺の気持ちは受け取れないものなので、「そういうのが嫌だって言ってるのに。あなた、わたしを好きだって言う割には合わせてくれないのね」という言葉に、俺は特になんとも思わない。あえて言うなら、ほら、やっぱり、というくらいだ。
 ただ、俺は気持ちを受け取ってもらうことがすべてだとは思っていないのでそれで構わないのだ。この世にはたくさんの恋人たちが存在しているけれど、その恋人たちを遠くから見つめている誰かもいるのだから。
 不変が毒ならば、変化こそが薬だろうとは思っている。俺はそれを否定しようという気はない。
 けれど、毒は時に薬にもなりえるのだ。それもとびきりの妙薬に。

 「そうしたら俺はきみ以外をいつか愛さなくちゃならないし、きみだってそうだろう。……ねえ、こんなことはやめよう。意味がない」

 俺の言葉を鼻で笑って、は声高に言う。

 「それはわたしが決めることでしょ。わたしは変わらないものなんて大嫌いよ。変わりつづけてこその人間よ。常に進化してるじゃない。わたしは昨日のわたしより新しいわ」

 切れ長の涼しげな目をじっと見つめながら、俺は静かに言った。
 今日は良い天気だ。風は冷たいけれど、だからこそ清浄で、心にも一切の曇りがないように思える。

 「……そう。でもは変わらないよ」

 は眉間にぐっと深い皺を刻んで、俺の目を鋭く見つめ返してきた。
 それから不愉快そうに唇を歪めて笑うと、「なぜ?」と声を震わせる。

 「だってきみ、昨日だって俺を愛してなかったし、一昨日だってそうだろう? 新しくなんかなってない。きみは変わらず、俺を愛してくれない」

 常に新しく、進化を、変化を望む彼女が、たった一人だけ愛さない男がいる。それがこの俺だ。彼女は昨日もそのまえも、そして今この瞬間も俺を愛してくれない。きっとこの次の呼吸のあとも、明日も、そのあとに続く朝と晩との繰り返しの中ずっと。
 現には俺の言葉に一層表情を歪めた。

 「あら、ほんと。でもわたし、日毎あなたを煩わしく思って、日毎大嫌いって気持ちを深めてるから問題ないの。加えて今日は執拗でうざったいとも思ってるわ」

 組んでいる脚のつま先をゆらゆらと揺らしている。ヒールが浮いたり沈んだりして、あぁ、ぴったりの靴を買ってあげたいなあと思う。
 彼女にはどんな靴が似合うだろうかと考えてみて、それなら俺が選ぶのがいいはずだと笑う。はますます嫌な顔をした。

 「けど、こうやって会いにきてくれるね」

 いよいよは立ち上がって、「あなたがわたしを愛さなくなってないかしらって、確認しにきてるのよ」と言いながら腕を組むと、俺を険しい目付きでじっと見下ろす。
 彼女の言葉の意味を少し考えてみて、俺はおかしくってたまらなくなって、かわいくって仕方ないと思って、思わず心の内で笑い声をこぼした。

 「……俺がを愛さなくなったら、それはきみにとっていいことなの?」
 「もちろん。それは新しいことの始まりだもの」

 みくびってもらっちゃ困るなあ。
 愛情ってやつは、自分が生み出した感情であっても制御できないからこそ、愛情だっていうのに。

 「言い換えたら、それって俺の愛情を確認しにきてるってことだよね」

 俺の言葉を受けて、は呆けたような顔で「は?」とぼんやり口にした。
 俺はもう我慢できなくなって、口元に手をやりつつも小さく笑ってしまった。

 「だって、俺が今日もきみを愛してるかどうか、それが気になるんでしょう? 俺に今日も愛していてほしいって聞こえるけど」

 はあからさまに機嫌を損ねたという様子で、さっさと俺に背を向けると、刺々しい声で「……物は言いようね。もういいわ、気が済んだから帰る」とカツカツ高い音をヒールで奏でながら、やってきた扉へと向かっていく。
 ふふ、と俺はやっぱり笑い声をこぼしながら、ゆっくりと立ち上がった。怒っていますと主張している後ろ姿に、「うん、気をつけて帰ってね。車を出させようか?」と声をかければ、はすぐに振り返って「結構よ」と苦い顔をした。

 「なら、明日は迎えをやるよ。また明日ね、

 はにやりと笑って、「……明日は来ないかもしれないわよ」と顎を持ち上げた。
 やっぱりおかしくってたまらないし、かわいくって仕方ないなぁと俺は思う。
 だって、もうこの先の未来は変化せずにはいられないことを、彼女はまだ気づいていない。

 「もしかしたら、俺が心変わりしてるかもしれないのに?」

 いいや、もう気づいてしまったから、「……わたしも心変わりしてるかもね」なんて言うのかもしれない。
 それはどういうふうに俺のこの感情の行く先を変えてくれるのか分からないけれど、俺はきっと、それを愛さずにはいられないだろう。

 「ふふ、どういう変化だろうね。とっても楽しみだ」

 だから、苦い顔つきでここを出て行かれたってちっとも傷つかない。
 これはもう、変化の始まりなのだから。






画像:はだし