俺自身は特別目立つような存在ではない。どこにでもいる平々凡々な高校生だと思う。少なくとも中学時代はそうだった。いや、その頃は“平々凡々”ですらなく、いわゆる“落ちこぼれ”で、高校に入ってこんなことになるなんてちっとも思っちゃいなかった。 やっと“落ちこぼれ”から“平々凡々”くらいにはなれたかな、なんて程度の認識でいたし、もちろん今でもそう思っている。でもこれはなんだろう。でもこれが今の俺の現状だ。

 「あっ! あのっ、綱吉くん! こ、これ! 受け取ってください!!」
 「えっ、あ、あぁ、うん……ありがとう」

 突然背後から俺に声をかけて、かわいらしい封筒を差し出すと、女の子は「きゃあ!」なんて言って両手で顔を覆って走り去っていった。まったく訳が分からない。けれどこれは一度や二度のことではないので、驚きはしないし(背後から声をかけられるのはちょっとびっくりするけど)、封筒の中身もだいたい分かっている。


 リボーンの俺に対する扱いは今でも変わらず、無理難題と思えることを涼しい顔して押し付けてくるけれど、中学時代ほど手間取ることは少なくなった。まぁ、もう高校生も三年目だし、大学受験――いや、俺にはイタリア行きがある。学校の勉強にはもちろん手抜きはできないし、家に帰ればイタリア語の勉強やらマフィアのボスたる心得うんぬんみたいなことを勉強して、もちろん体を鍛えることもやめられない。すべてリボーンの指示だけど、“落ちこぼれ”から“平々凡々”まで引き上げてくれたのだ。鉄拳制裁が今でも怖いというのもあるが、感謝の念もある。だから大人しく従ってここまできた。でもそれは俺だけの認識であって、周りには俺が“平々凡々”に正しく捉えられていないようだから恐ろしい。なんで俺が女の子に「きゃあ!」なんて黄色い声をあげられたりするんだろう。

 本当は誰より真面目なのに不良スタイルは相変わらずな獄寺くんは、高校生になってますますかっこよくなった。山本なんかは爽やかさに加えて男前にも磨きがかかって俺には光っているようにさえ見える。畏れ多い(二人は「そんなことない」と言ってくれるけれど)ことに、俺はそんな二人に常に挟まれて行動しているわけだけれど、それなら俺なんて霞んじゃって見えやしないだろうに、なぜだろう。

 俺には“特別”なところなんて何一つない。唯一挙げるとすれば、高校を卒業したらイタリアへ飛んで、ボンゴレファミリーという名のマフィアのボスになることが決まっていることくらいだ。でもそんなこと誰も知らない。そんな中で、俺をまるで特別扱いする女の子たちって、一体何を考えてるんだろう。初めのうちは俺にもついにモテ期が? なんて喜んだけれど、それもほんの少しの間だけだった。もしかしてまたリボーンがくだらない遊びを――とも思って問い詰めたこともあったけれど、これも違うとなれば本当に見当がつかない。


 「あ、王子様」


 びくっと肩を揺らして振り返った先には、中学時代の俺をよく知っている女の子だった。俺が(ボンゴレのことを除いて)“平々凡々”ならば、この子こそが“特別”だ。

 。由緒正しいグループのお嬢様である。“落ちこぼれ”の俺とは一切関わりを持ったことがないが、中学を卒業してから時折こうして声をかけてくるようになった。これもまた、俺にはとても不思議なことだった。そしてもっと不思議なのが、“落ちこぼれ”の俺をよく知っている(三年間ずっと同じクラスだった)子が、どうして俺を“王子様”だなんて呼ぶのか。自分のことなのでとても恥ずかしいが、女の子たちが俺のことを「王子様」なんてちっとも似合わないあだ名を付けているのは知っている。でも中学時代をよく知るさんにとっては、俺のような男なんて“王子様”なんかには到底見えないだろうし、その感覚こそが普通だろうと思っていたのだけれど、そのさんまでもが俺をこうして「王子様」だなんて呼ぶんだからどうしようもない。

 「あ、あぁ……さん……えっと、何か用かな?」
 「学生生活も終わりが見えてきちゃったわね」
 「? そうだね」
 「イタリアへはすぐに?」
 「うーん……リボーンは卒業したらすぐにでもって言ってるけど、俺は――――え?!」

 あら、おかしいわね、ここで驚くの? とさんは首をかしげて、なんとも不思議そうな顔で俺を見上げてきた。

 「リボーンさんから何も聞いてないの?」

 「何もって……っていうかさん、リボーンのこと……」

 「ええ、知ってるわ。昔からずっとお世話になってる方だもの。……沢田くんは何も知らないのね」

 心底困ったというように、さんはため息をついて「相変わらずむちゃくちゃなことをする人ね」と耳に髪をかけた。なんの香りなのか分からないけれど、甘い匂いがしたようが気がした。それはともかく、俺はさんは“特別”な人だと前述したが、まさか俺が考えているような“特別”だったとしたら? そう、彼女が――ボンゴレとなんらかの関係がある人だとしたら?

 俺は思わず警戒の態勢をとった。これから、何が起きても構わないように。いつも一緒の獄寺くんも山本も、今はいない。さんの正体がどういったものであれ、ここは俺一人でなんとでもして、もしものことがあれば二人に伝えなければ。
 しかし身構えた俺を見て、さんはびっくりした顔をしたけれど一瞬のことで笑った。

 「ボンゴレと敵対しているわけでも、悪いコトもしてないわ。リボーンさんにお世話になってきたって言ったでしょう? でももしかしたら、あなたにとっては悪いコトかもね。あなた、笹川さんのこと、ずっと好きでしょう」

 あぁ、そうか、なんて早とちり……。こんなに簡単に相手の正体を決めつけて判断を下したなんてこと、リボーンが知ったらなんて(どういう方法で)説教されることか……と、それもともかくだ。

 「な、なんでそんなこと……!」

 「あら、結構有名な話なのに。今もそれで涙してる女の子がいるわよ、王子様」

 「……とりあえず、その“王子様”ってやめてもらっていいかな? 話をしようにも落ち着かない……」

 俺がそう言うと、さんは肩をすくめて「あらそう。わたしは素敵だと思うけど。“王子様”って。女の子みんなの夢よね」と笑うと、すっと俺に一歩近づいて、また一歩近づいて、俺の耳元で囁いた。


 「その女の子みんなの夢の“王子様”は、わたしのものになっちゃうけれど。……ボンゴレと話はついてるの。あなたとわたし、結婚するのよ」


 その言葉を聞くまで――聞いても、俺は一歩も動けなかった。

 それからなんとか絞り出した言葉は、「ええと、京子ちゃんは今はそういうんじゃないよ」だった。さんが囁いたことには一切触れなかった。頭が追いついていないし、それがどういう意味だかも判断しがたい。こういう場面でこそ、慎重に事を見極めなければいけない。彼女はリボーンに世話になっていると言ったけれど、俺はリボーンからそんなこと聞いた覚えはないし、今この場にそのリボーンがいない以上確認のしようもないのだから。

 ここはまぁ当たり障りのない会話をして、なるべく早くさようならをするべきだ。そういう意図もあったけれど、京子ちゃんは今は“そういう”んじゃないというのは嘘ではない。
 京子ちゃんは俺の中で一生その存在を変えることのない――なんと言ったらいいか――まぁ手の届かない憧れのアイドル、昔を思い出すための重要なキーパーソンといった感じで、今はもう現実味を帯びた恋愛感情というものを彼女相手には持っていない。

 「みんながあなたを俗なアイドルみたいに“王子様”なんて呼ぶから、そういう捉え方しかできないんでしょうけど」

 さんの手が俺の頬を滑ったので、思わずびくりと体が震えた。少しひんやりとした指先が、俺の思考を連れ戻した。俺よりもほんの少し下にある端正な顔が、じっと俺を見つめている。その瞳にはどこか期待するような色が見えて、正直怯んだ。彼女の言うことに納得している自分がいるからだ。

 俺は特別目立つような存在じゃない。今は獄寺くんや山本のような光る存在がそばにいるからこそ、俺もなんだか眩しい目で見られるだけで、俺にある何かを求められているわけじゃない。それなのに俺を“王子様”なんて呼ぶ女の子たちはどうかしてるとさえ思う。そうだ、俺は俺に付随する輝かしい存在と比べられて、そこに手を伸ばすために必要なアイテムで、“王子様”というのはそういう名前なのだ。俺の持つ“王子様”という名前は、その名前のような価値が本当には存在しない。掴むことはできない。女の子たちの夢が作り出した、ただの蜃気楼だ。彼女たちが俺に求めているのは、アイテムとしての価値だ。さんの言っていることは正しい。けれど、彼女は思いもよらぬ言葉を続けた。

 「でもね、あなたは本当に“王子様”よ。わたしを助けてくれるのはあなただけ」

 「……助ける?」

 「あなたのいいところなんてたくさんあるわ。あなたしか持ってないもの」

 「一体どこにそんなものがあるって言うんだよっ! さんは俺のことなんて何も知らないだろ……!」

 言ってからはっとした。こんなのつまらない子供じみた言い訳で、これはただの八つ当たりだ。ごめんと一言謝ると、さんはくすっと笑った。それから「そういう優しいところ、あなたのいいところよ」と俺の唇を親指でなぞった。突然のことで、俺は身じろぎ一つできなかった。

 「や、優しくなんか、ないよ、だって俺は、」
 「わたし、あなたのこと知ってるわ。中学からのあなたしか知らないけどね」
 「え……」

 きっと俺が一番情けなくて、一番臆病な時期だ。さんもよく知っているはずだ。“ダメツナ”と呼ばれて、その通り何をやらせてもダメで、何をしようとしても失敗ばかりで恥を重ねることしかできなかった。特別なことなんてなくたっていいから、少しでも“平凡”といえる存在にはなりたかったころ。鼻の奥がツンとして、情けないことに泣きたくなってしまった。

 「……それなら分かるでしょ。俺は何をやってもダメで、さんと結婚なんて、」

 「ダメなことなんて一つもなかったじゃない。もしもダメなことがあるとすれば、今あなたがそうして物事を卑屈に考えることだけよ。……あなたがいなかったら、多くの人が死んでたわ。過去、戦ってきたことを思い出して。あなたはいつのときも諦めなかったし、何にでも、いくつでも勝ってきたでしょう。そうでなくちゃ、わたしだって今生きてられなかったわ」

 ミルフィオーレのボンゴレ狩りで、も狙われたのよ。でも、最後の最後にあなたに救われた。さんは呟くように、物語を聞かせるように言う。

 「だから、もう一度わたしを救って。わたしには、わたしは……心の優しい、きっとわたしを思ってくれる、あなたが必要なの。……あとは、あなたが頷いてくれるだけ。……わたしの――わたしだけの王子様は、あなただけなのよ。あなたが優しいひとで、こう言えば断れないのを承知で言うわ。お願いよ、わたしだけの王子様になって」

 切なげに寄せられた眉根に、きゅっと白い歯が唇を噛むさまに、心臓がカッと熱くなったような気さえした。他の誰でもない、“俺”が求められている。俺が彼女だけの王子様なら、俺にとっての彼女は? 俺を卑屈でねじ曲がった世界からすくいあげようとしてくれる、彼女の存在はなんだろう。

 俺は思わずその場に跪いた。さんの顔色が変わった。答えは聞きたくないとでもいうように、ゆるく首を左右に振る。細い首だ。俺なら、簡単に手折ってしまえそうな。

 俺が本当に“王子様”なら、ここでどうするだろう。まだ何も知らない彼女に対して、何をするだろう。何を囁くだろう。答えは簡単だった。俺はもう、跪いている。


 「俺で良ければ、喜んで」






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