あちこち探し回る必要はなかった。彼女がどこにいるのかなんてこと、すぐに分かってしまうことだった。ドラマみたいにびしょ濡れになって、もう見ていられないっていうような感じだったら、まだマシだったかもしれない。俺がこうしてやってきたところへ彼女がいるというのは、つまりはそういうことなのだ。 「こんなトコで何してんの? ちゃん」 こんな土砂降りの中――しかももう真っ暗だ――公園にいるバカで可哀想で物好きなのは、俺たちだけだ。塗装の剥げてきている汚れた白いベンチに座るちゃんに傘を傾ける。それは受け取れという意味だったけれど、小さく肩を震わせて「それそのまんま及川に返す」と言った彼女には伝わらなかったわけだし、そもそもこうも降られちゃ傘も何もあったもんじゃないので、俺はそれをたたんでベンチの背に掛けた。 「え、俺はちゃんがいるトコにいつでも現れるよ!」 いつもの調子で笑って、隣に座る。 「何それ気持ち悪いんだけど」 俯いている。表情は分からない。 「ええっ、ヒドイ!」 「……どっちが」 誰に向けられたものか分からないな、と思った。きっとここへ来るまでに、何度もヒドイと詰られたはずだ。俺の知ったこっちゃないけど、ドラマにしたら「泥棒!」とか「汚らわしい!」とかそういうことを散々言われて、「家庭のある男に手を出すなんて!」なんたらかんたら、って感じじゃないだろうか。俺はそういう修羅場に陥ったことはないし(そりゃそうだ)、関わったこともない。だから観たこともない“昼ドラ”ってのを想像するしかない。 この場合、ヒロインって誰になるんだろう。こんな寂れた公園で、偶然に偶然が重なって出会っただけの家庭のある男と、そうとは知らずに恋に落ちて捨てられたちゃん? それとも、男の奥さん? いいや、もしかしたら別にいるのかもしれない。 「……泣かないの?」 俺の言葉に、ちゃんは顔を上げた。自嘲的な声音で、「なんで?」と薄く笑うので拍子抜けした。ここで泣いて縋ってくれたらよかったのにな、と。そうしたら、それこそドラマみたいに簡単に時間が過ぎて、簡単に話が進んで、全部うまくまとまってくれるのに。 「いや、泣くかなぁって思ってたから」 「別に泣かないよ、分かってたことだもん」 小さく震える肩が目に入って、どのくらいここにいたのかな、と思う。どれだけの時間、こんなとこで自分を捨てて逃れていった男のことを考えていたのかな、と。捨てられた側の心情なら感情移入も容易だと思ったけれど、分からなかった。俺は、捨てることのできない性質だ。 昔からそうだった。これが好きと自分の心で決めると、何があってもそれは手放さずにきた。成長に合わせてさようならをしてきたものはもちろんあるけれど、俺の本当に大切なものの芯はブレたことなんて一度もない。だから俺はちゃんを放っておけないし、こんなにも腹が立っているのだ。彼女にも、男にも、その奥さんにも。俺だけを、除け者にするから。 「分かってたことなら、なんで途中で終わらせなかったの」 この調子だと、雨はますますひどくなる一方だろう。こうなる前に、帰ればよかったのに。途中で引き返していたなら、何もなかったことにしてみんな笑っていたはずだ。まぁ、俺は男もその奥さんのことも知らないし、二人が幸せだったのかとか、これからどうなるのかなんてことには微塵も興味ない。それに俺はこのことには関係ない人間だ。少なくとも、「……及川には関係ないよね」と言うちゃんにとって、俺は名もない通りすがりのエキストラなわけである。ヒドイ話もあったもんだ。でも、それでも俺はブレたりしないのだ。自分でも恐ろしいなぁと思うが、人を恐ろしくさせる感情だからこそちゃんはあの男のところへいってしまったし、俺もこうしてこんなクソ寒い中、クソみたいな――恋愛なんてかわいいジャンルに留めておけない、こんな馬鹿らしいシーンのあるドラマに無理矢理に出演している。いや、しようとしているのだ。 「まぁ、そうだね。でも、放っておけないんだもん」 「……軽蔑してますって顔してるのにそんなこと言われても」 あはは、と聞こえた笑い声は自分のものではないようだった。 「え、そんな顔してる? まぁ軽蔑してるけど」 「正直にありがとう。じゃあそういうわけだから放っておいて」 立ち上がろうとしたその腕を掴んだ瞬間、痩せたのが分かってしまって泣きたくなった。いいや、本当は気づいていた。でも、こうなるまで――こうなると分かっていて放っておいたのは俺なのだ。確かに、俺は彼女にはなんの関係もない人間だろう。辛いとき、寂しいとき、そばにいたのは俺じゃなかったのだから。それでも、俺は彼女に一度決めた情を捨てることはできないし、したくないのだ。 「放っておいたらまた間違えそうなんだもん、ちゃん」 「間違ったとして、もう及川には関係ないよね」 「関係ないけど、でも放っておけないんだってば」 「じゃあ、慰めてって言ったら慰めてくれるの? 軽蔑してるのに」 軽蔑なんてちょっともしていないから、俺のところに戻ってきて。正直にそう言ったなら、ちゃんはきっとここから走って逃げるに違いない。自分のしたことを分かっているから。 「慰めるっていうか、傷の舐め合いとでも言うんじゃないの?」 風呂にでも浸かったような体だし、このままいれば意味なんてないのは分かりきっていることだけれど、エナメルバッグから新しいタオルを取り出す。はい、と差し出すと、今度は受け取ってくれた。「……ヤな言い方」と言ったその声が震えているのは、寒さのせいではないと思いたい。 「あはは、でもそうじゃん。こうなったらもう、俺も軽蔑されていい人種だし」 冷え切った体を抱き寄せてみたところで、俺も同じようなものだ。でも、僅かに残っているお互いの熱が、交じり合っていくのが分かる。俺と彼女は別の人間だけれど、本質は一緒だ。背中に回った腕が、縋るように俺の体に絡みつく。それなのに、「へえ」なんて言うもんだから、俺は本当にエキストラだなぁと思う。 「ヤな言い方なんて言っといて、ここ流すの?」 「聞きたくない」 「やだね。……だって、好きなんだもん」 でももしかしたら、ヒロインが俺ってこともあるかもしれない。ヒーローになりきれなくて、かといって敵役にもなれない。エキストラにだってなれないから、こういうクソみたいなセリフが言えるのだ。こんなこと、きっと可哀想なヒロインくらいしか言わないに決まってる。でも、これはドラマなんかじゃない。彼女にとってこれがセリフであったとしても、俺はエキストラにもなれない。名前のついてしまっている男だから、セリフなんかではないのだ。 「……傷の舐め合いにしかならないのに?」 「傷が癒えるころにはちゃん、俺のことまた好きになってるよ」 「すごい自信」 「そりゃあね。元カレ甘く見ないように」 彼女は「……ごめんね」と言って、両の手に力を込めた。 そんなことしたって、俺は許す気なんてさらさらない。 けれど、放っておくことはできないのだ。 一度抱いた感情を、捨てることなんてできないのだ。 「謝って済む話じゃないから、もう黙って」 どうせこの雨だ。もう何を言っても、聞こえやしない。 それなら先に、ごめんだとかつまらないことを言う唇なんて、塞いでしまえばいい。 |
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