ちょっとしたことでいいな、と思う。何か特別なことじゃなくていい。のんびりとした時間を共有することだけで――いや、それこそがオレの幸せだ。何の予定もなくていい。寝坊したっていい。この日ばっかりは規則正しい生活だとかはどうだっていい。ただ他愛のない話をしたり、好きなときに好きなものを食べて、お互い黙ったまま寄り添えればそれでいい。そういった時間がどれほど貴重で、どれほど得がたいものかを知っているからだ。

 掛布団をかぶって、まだ寝息をたてているを起こさないようにと、そっとベッドから抜け出そうとしたところ、中からもぞもぞと細い腕が伸びてきた。かと思うと、それがオレを探すようにうろうろするので笑った。すると、はあぁ、なんて欠伸をしながらが顔を出した。

 「んー、起きるのはやいねえ……わたしまだ眠たい」
 「寝てていいぜ。オレはちょっと水でも飲もうかと思っただけだ。起こして悪かったな」
 「ううん。武が起きるならわたしも起きる。お水飲むだけって言って、そのまま起きてるでしょ?」

 それもそうだ。不規則な仕事をしているが、昔からの習慣が抜けないでいるオレはどうしても決まった時間に目が覚めてしまう。朝寝坊したって誰にも咎められない休日にも、そういう風にできあがった体はこれ以上の休息は必要ありませんとでもいうようにさっと目覚める。ここのところ徹夜といっていいような毎日が続いていたのに、ここまで規則正しいのはいかがなものか。それでもオレの体は言う。

 「休まなくていいの? いっぱい寝ていいんだよ、せっかくお休みもらえたんだから」
 「え?」

 はもう一度、「だから体、休めなくていいの? って」と言った。休みたくても体がそうはさせてくれないから、休む必要がないんだと思う。こんなことを言ったらは顔を真っ青にして、寝なさいよ!! と怒るに違いない。なのでオレは、「眠くなったら好きなときに寝る。ただ今はもう起きちまったから、とりあえず水飲んでくる」と答えた。すると間髪入れずに「じゃあわたしが持ってくるから、武、ごろごろしてていいよ」と言って、さっさとベッドから降りた。今の今まで眠たげにしていたくせに、何がそうさせたのかすっかり目が冴えたらしい。


 しばらくしてが持ってきたのは、冷蔵庫に入れているミネラルウォーターではなく、温かい白湯だった。うふふ、なんて笑って、オレがなんて言うかな? とわくわくしている顔だ。「体あったまるよ」と言って、はベッドに腰掛けるオレのそばへ寄ると、にこにこ返事を待っている。おまえも休みなのに、わざわざこんな気ィ使わなくたっていいんだよ、というのが胸まではきていたが、口にするのはやめた。にこにこ浮かべている笑顔――この期待に満ちた目は、オレに褒められるのを待っている。

 「ありがとな。……いい朝だ」
 「うふふ、うん。いい朝。だって今日はずっと武と一緒だもん」

 思わず驚いてしまって、声にならない声が出た。オレは不規則な仕事だが、は規則正しい生活を送っている。それは早寝早起きというやつでなく、遅寝早起きという不健康な規則正しさだ(なんだか矛盾している)。朝早くバタバタと仕事へ向かって、夜遅くに帰ってくる。週に何度かは終電に間に合わず、事務所に泊まり込むほどだ。ちなみには弁護士である。聞こえが悪いが、ボンゴレの息のかかった法律事務所に勤めている。うちには血の気の盛んなやつが多いので、ちょっとした――店を壊したとか、そういう――いざこざの仲裁に入るお役目だ。ツナは「敏腕弁護士がいるからって、なんでもかんでもなんとかなると思って迷惑かけちゃダメですよ!!」と事あるごとに怒っているが、その血気盛んなやつら――ヴァリアーの連中だとか、あとはヒバリとか――はまったく聞きゃあしない。オレもまぁやつらのことはよく知っているので、「まぁ、らしいよな」と苦笑するしかないのだが、オレとが付き合っていることを知っているツナはいつもとオレとの仲を案じてくれている。

 一度、仕事を辞めてもいいとに言ったことがあった。オレは結婚を考えているし、が体に負担をかける無茶な働き方をする必要がない程度には稼いでいる。だから心配することないから、仕事は辞めればいい。オレの帰りを待っていてくれればそれでいい。するとはおっかないなんて言葉じゃ到底表しきれないようなキレっぷりで、「それってどういう意味! わたしはボンゴレに必要ない、貢献できてないって言いたいわけ?!」と手あたり次第、とにかく目に映るものすべてをオレに向かって投げつけては怒鳴った。それからオレはの仕事に関しては何も口を出さないことに決めたが、心配なもんは心配である。

 けれどは、まぁいわゆる“キャリアウーマン”ってやつで、バリバリ仕事をこなすことを楽しんでいるし、その仕事ぶりを評価されることも好きな女だ。向上心の塊と言っていい。それがまたツナに「山本とさん、大丈夫? さんにはもう少し休んでもらっていいんだ。山本からも言っていいんだよ?」とハラハラした顔をさせてしまう。しかし当の本人は知ったこっちゃない様子で仕事に励んでいる。まぁ好きでしてることだし、がいいならそれでいいか。そうは思う。思うが、オレももお互いの時間が重なるタイミングが合わないぶん、いくら一緒に暮らしていても思い通りにいかないことばかりだ。オレは大体外で済ませる仕事だが、はうちまで仕事を持ち帰ることも少なくない。それを咎めようという気は一切ないし、一生懸命な顔を眺めているのも案外飽きないものだ。同じボンゴレにいても、関わるところが一切ないところにいるのだ。真面目な顔をして書類と向き合っている姿を見ると、なかなか色っぽいな、なんて思ったりもする。仕事に打ち込む女というのはセクシーだ。

 けれどやっぱり、ふたりで穏やかな時間を過ごしたいという気持ちはいくらだってある。

 オレはいつどこで死ぬのかちょっと予想ができないし、でそれは分かっているだろう。そんなことは絶対にさせないが、もしかしたらが殺されるなんてことも想像はできる。オレに対する人質であるとか、の立場上、私怨っていう線もある(何も店の修理代うんぬんの弁護だけではないのだ、もちろん)。

 だからこそ、オレはを手元に置いておきたくて仕事を辞めろとまで言った。体のことはそうだが、その前に命を失くしちまうんじゃどうにもならない。けれどはそうはしないと言った。は何とも言わないが、オレと同じ土俵に立ったうえでオレたちの関係に名前を付けているように思う。そんなことしなくったっていい。これにもオレはそう言ってやりたいが、プライドの高い――自分の意志をしっかり貫いて生きているは、これにも盛大にブチ切れるに違いない。オレと対等でいることでこそ、堂々とオレの隣にいれるんだとかなんとか言って。そばにいるのに、そんな決意が必要なほどの男じゃないのに。

 そういうわけだから、ふたりで“穏やかな”時間を過ごすというのはとても難しくて、とても貴重で、どれほど得がたいものなのか、ということである。がもうちょっと甘えたな女であったなら簡単だったろうにと思うこともあるが、オレはがこういう女だからこそ惚れたのだ。だから、ちょっと甘えた顔をしてオレを見上げるこんな瞬間を、大事にしたいと思う。

 「……どっか出かけるかぁ」
 「え? どうして? お休みなんだよ?」
 「どうしてって、休みだから出かけるのもいいかなってよ」
 「それじゃあお休みの意味ないじゃない。のんびりしようよ」
 「でもそれじゃあ、おまえつまんねーだろ。買い物とか行きたいんじゃないのか」

 それもいいけど、とは口をもごもごさせて言った。まだ朝も早いところだし、二度寝して支度したって十分な余裕をもって出かけられるだろう。今日は時間もたっぷりあることだし、の長い買い物にも思う存分付き合ってやれる。せっかくだから大型のショッピングモールまで車を出すか、とオレが考え出したところで、「でも」と今度はしっかりとした調子でが言った。

 「そういう予定もいらない、好きなときに好きなことして、ただのんびり一緒にいるのもいいじゃない。眠くなったら好きなときに寝るって、武、さっき言ったでしょ? 今日はそれでいい」

 「そうは言ったけど、でもおまえの好きにしていいんだぜ。お互いの休みが重なるってそうそうないんだ。遠慮するこたねーよ」

 「遠慮なんかしてないってば。……たまには、ふたりでずぅっとベッドから動かないって日があったって、いいでしょって、言ってるの」

 耳元をほんのり赤らめて、そっとオレの肩に頭を預ける仕草に、オレは喉の奥で笑った。オレが思っていたのとはちょっと違うが、もなんにもない、その辺の恋人たちのような穏やかな休日をお望みらしいのだ。それも、オレが思ってたのよりもだいぶ――とびっきりいい休日を。

 「それじゃあ“のんびり”した休日にはならないと思うけどな」
 「……ばか!」
 「言い出したのはだろ」
 「そうだけどそういうことじゃないの! ばかぁっ!」

 バカでもなんでも結構だ。
オレはそう言うと、大した抵抗もしない柔らかい体を、ベッドへそっと押し倒した。




 「あぁ、山本」
 「? おう、どうしたツナ」

 声をかけられて振り返った先には、頬をかいてなんとなく気まずそうなツナが立っていた。そんな顔をされるような覚えがなかったので首をかしげると、「いやね、さんが……」と言うので、あぁ、と口元が緩むのを感じた。

 「ちょっと相談があったから事務所に顔を出したら、しばらく休みは絶対に入れないでくださいって怒られちゃって……俺、余計なことしちゃったかな?」

 「やっぱりツナが休み合わせてくれたんだな。おかげで楽しく過ごせたぜ。サンキューな」

 「いや、それならいいんだけど……なんだかさん、すっごい怒ってたから……」

 「気にすんな。すぐ機嫌直すさ。……まぁ、ちょっと意地悪いことしすぎたんだ、オレが。久々の休み、予定はナシ、かわいい女からの“お誘い”があっちゃ、男なら誰でも乗っかっちまうだろ?」

 「……さんが怒ってる理由、よく分かったよ。しばらくふたりの休みは合わせないからね」

 ツナのほうこそ怒っているような様子で去っていったので、こりゃあマジでそうなりそうだなあと髪をかきまぜた。いや、昨日はほんとうにたっぷりと心のほうを休ませてもらったので、しばらくのガマンはなんとかなるかなと思うが。

 思い返せば返すほど、ほんとうにいい“休日”だった。まさかのほうがあんな風な“お休み”をねだってくるだなんて、オレは想像すらしていなかった。そういうタイプの女でもないし――いや、でも起きたばかりの様子を振り返れば、そんなような素振りを見せていたようにも思う。オレを気遣いつつも、普段は決して口にしないような甘えたセリフがいくつかあった。オレとの休日を喜んでいたのだ。そうならそうと言えばいいのに、かわいいやつめ。しかしはプライドの高い女であって、素直に甘えてみせるような女でないことはオレが一番よく知っている。いや、そう考えるとますますかわいい女だとしか言いようがないな、と思って笑った。

 ただご機嫌斜めのまま帰宅されては――もしかしたら帰宅さえしないかもしれない――困るので、ちょっとご機嫌伺いにでも顔を出すか、とオレはくつくつ笑い声を抑えきれないままに本部を出た。




 「、ツナに八つ当たりしたって聞いたぜ」
 「なんで来るのよばかっ!」
 「それはもう昨日散々聞いた。聞き飽きたよ」

 は顔を真っ赤にして、ばかばかばか! と子どものように何度も繰り返した。事務所の人間がクスクスと笑っている。ここにいる連中もオレととの関係を知っているし、もう子どもでもない。大の大人が揃って“お休み”、御機嫌伺いに来る男、顔を真っ赤にして恥じらう――きゃんきゃん鳴く女。まぁ想像できるだろう。

 「山本さんも大変ですね。うちのお姫様……いや、女王様のお相手は」

 「ちょっとそれどういう意味!」

 「どういうって……さんは無茶なこと平気で人に振ってくるし、山本さんにも甘えるよりもピシッとムチでも振ってそうなんで」

 「そんなわけないでしょ!! あとわたし仕事に関しては無茶なんて言った覚えないわよ! くんデキるでしょ!」

 「ハイハイ」

 このという男は、の直属の部下だ。
まぁ秘書みたいな仕事をしていて、にいいように振り回されている。
が言うように“デキる”男だから仕方ない。

 ぽんと肩を叩いてやると、はニヤッと笑った。
の下で働いているだけあってコイツは図太いし、先の言葉は分かる。
まぁ乗ってやるのも悪くない、と思うオレも相当図太いだろう。
は顔を真っ赤にしてカンカンだっていうのに。

 「ま、ムチ振ってばっかもいられないですよね。山本さんって目に見えてS気質。実際のところどうなんです? 特に昨日とか」

 「ははは、おまえも直球だなぁ。うーん、どうかな。オレはそういう自覚ねーけど、悪くはなかったんじゃねーの。喜んでたし。な、

 は体をわなわな震わすと、「くんはしばらく帰宅許可ナシで休みナシ! 武はお預け!! あとボスに言いつける!!」と叫んで出て行った。力強く、扉を叩きつけるように閉めるのを忘れずに。

 あーあ、山本さんお預けですってよ〜とのんびりした口調では言ってきたが、そんなことよりお前のほうがえらいことになってんぞ、とは言わなかった。なんだかんだ言ってはこのというのをかわいがっていて、いずれかはこの事務所を任せようとしている。体を壊すような仕事のさせ方はしないだろう。……たぶん。

 オレには“お預け”のほうがよっぽど問題なので、今度こそご機嫌取りだとのあとを追うことにした。






画像:hadashi