「この歳になって独身てやばくない?」

 何か悩んでいるふうではあったが、本人に言う気がないのならそっとしておこう。
 そう思っていた矢先だった。

 珍しく青柳と一緒ではないし、そもそもあまり話のうまいほうでない俺が相手では、会話のタネを見つけるのにも大変だったろう。それにしたって女性は、こういった話が好きだなと思う。青柳とが揃うと、若手俳優の誰々がタイプだとか、直接の色恋に繋がるわけではなくとも、そういう話ばかりしている。そのこと自体はもちろん構わないが、俺を青柳と同じと思われては困る。色々な意味で。

 「まだ二十二だろ。やばくもなんともないと思うが」

 そう言ってカレーの乗ったスプーンを口元に運ぼうとすると、がバンッと思い切りテーブルを殴ったので思わず体が跳ね上がりそうになった。顔を見てみれば、まさに鬼の形相というやつだ。

 温厚そうな優しい顔立ちをしているだが、ふたを開けてみればとんでもない。見事に外面をひっくり返したような、とんだ暴れ馬だ。いや、暴れ馬のほうがずっとかわいい。やつらにはまだ、懐かせることのできる余地がある。は自分の定めた一本道から逸れることを何より嫌うので、あの和久さん相手にだって納得がいかなければ平気で指示に背いた言動をする。そして事件が終わればそのたびに、はしおらしく落ち込んでみせて、それを見た和久さんは仕方ないとばかりに、大抵のことは形だけの始末書一枚でも書かせて許している。が、それが済めばなんてことはない。はこれに懲りて大人しくしようという素振りすら見せないので、そろそろ和久さんのあの笑顔も凍るのではないかと思う。

 まぁそれはともかく、今はの話だ。二十二で独身がやばいという話だ。なぜ。この一言に尽きる。言った通り、“まだ”二十二だ。教育課程を終えて入局してから、まだ二年。いくらか仕事にも慣れてきたか? とは思うが、職が職だ。不測の事態が常である。いざ事件となれば、その時々でなんでもいくらでも変わってしまう。結婚なんてもの、今考えられるか? と俺は思う。考えたとしても、即決断、そして実行に移すというのはなかなか難しい。

 ――が、はどうやらそうは思わないらしい。

 「ハァ? 狡噛くんケンカ売ってる? 余裕じゃんってわたしも思ってたけど現実見てみたらやばいのよ!! 周りはどんどん結婚してってるの! 子どもいるって子までいるんだよ?! ほんとやんなっちゃう〜ッ!! わたし二十五までに結婚するって決めてるのに〜!!」

 どこから二十五という数字を出したんだか気になるところだが、だからなぜそうも焦る必要があるんだか、俺にはさっぱりだ。それに、焦られても困る。ならば持ち前の行動力で、さっさとどこかの男と結婚するなんてのも十分にありえる話だ。それは、困るのだ。

 「ならあと三年あるだろ。どこに焦る必要がある?」

 女性の考えることというのはよく分からないことが多いが、中でもこのという女は特別分からない。凡そこうであろうと当たりをつけてみれば、まぁことごとく正反対――ならまだいい。この女はそもそもの前提からブチ壊してくるタイプだ。なので対応のしようというのが全くないのだ。あらかじめ用意だのなんだのしておいたところですべて無駄である。

 「狡噛くんバカなの?!」

 ……きちんと解答を準備しておこうがおかまいが、結局こうなら何も考えずにいたほうがいいということだ。

 「……それならもう、シビュラ判定でも――」

 最後の一口を食べてしまおうとすると、またもがバンッとテーブルを殴ったので、よく咀嚼することもできずに丸呑みしてしまった。慌てて水の入ったグラスを呷るが、は俺のことなどどうだっていいらしい。

 「シビュラが選んだ相手じゃなくて! わたしはわたしが好きになった男と結婚したいの!! 自分で選びたいの!!」

 「……要は普通に恋愛したいってことか」

 なんとか落ち着いて一言返すと、は真面目な顔で「そう、それ」と俺の顔を箸で差した。行儀が悪いぞと注意する俺に肩をすくめて(つまり聞く気がない)、「シビュラが選んだ相手は確かに相性良いのかもしれないけど、それってわたしが好きで選んだ男じゃないのよ? あー、ムリムリ。想像しただけでムリ」と話を続ける。気の済むまで付き合ってやらないと、後でどんな目に遭うか分かったもんじゃないな。そう思いながらトレーをそっと除けて、空けたスペースに腕を置く。

 という女は魅力的だ。俺はそれをよく知っている。だが散々に述べたように、暴れ馬のほうがずっとかわいいのも事実だ。そんな女が『普通の恋愛をしたい』と言って、どうなる?

 「……おまえみたいな我の強い女に付き合える男なんているか?」
 「ねえほんとケンカ売ってる?」

 ギンッと視線を鋭くさせたに少し怯みそうになったが、この女相手には何をするにでもいちいち怯んでなどいたら限がない。

 「……タイプは」

 言いながらテーブルに乗せた腕の肘をついて手を組むと、は眉根を寄せて「は?」と機嫌悪そうに応えた。

 「だから、の男のタイプ。どういうのがいいんだ」

 俺がもう一度言うと、はテーブルからぐっと身を乗り出して俺の目を真っ直ぐに射抜いた。

 「わたしより頭の良いひと。もちろん体もちゃんと鍛えてるひとじゃないとダメ。あ、あとわたしと同じくらい、もしくはそれより稼いでるひとね。それからわたしの話をちゃんと聞いてくれて、買い物にも嫌な顔しないで付き合ってくれるひと。どっちが似合う? って聞いたら真面目に考えてくれるひと」

「……色々と条件付けすぎじゃないのか?」

 素直にそう言うと、はけろっとした顔で「そう?」と体を元へ戻した。そして続ける。

 「だってわたしより頭の良いひとじゃなきゃ、尊敬できないもの。人として尊敬できる相手じゃなくちゃ、うまくやってけるわけないでしょ。それに仕事柄、わたしって守られた覚え、いっっっちどもないのよ。前に痴漢されて犯人捕まえたことあったけど、そのときね、彼氏と一緒だったの。なんでわたしが自分で犯人捕まえなくちゃなんないのよ。自分の女に痴漢したクズをどうにもできないクソほども役に立たない男なんて邪魔になるだけでしょその場でサヨナラしたわそんなの」

 「……一理あるな……」

 そんな話を聞いてしまうと、そう答える以外にない。

 さすがに痴漢された女性に『自分で捕まえろ』と言わんばかりの男は、俺からしても情けないにもほどがあるし、のような女からすれば冗談じゃないだろう。現に彼女は“クズ”とまで言っている。

 はその後も澱みなく続けた。

 「あと稼ぎの件だけど、女のわたしのほうが稼いでるって知ると、嫌な顔されたことしかないのよね。別にどっちがどれだけ稼いでようが関係ないでしょ? って思うけど、そうでもないらしいわ。なら自分が稼げば? って思うから、わたしより稼ぎのあるひとじゃなきゃダメなの」

 条件を付けすぎだと俺は言ったが、その理由を聞いてみれば納得の連続である。
 思わず「なるほど」と頷いてしまった。

 「それから、わたしの話をちゃんと聞いてくれなくちゃダメっていうのはね? こっちは日頃からいろんなストレス溜めつつも世間様に貢献してるわけだけど、みんなそれ仕事なんだから当たり前みたいな顔してくんのよ。ただ『うんうん』って頷いてくれるだけでいいのに、『それが仕事なんだから〜』みたいなクソどうでもいいなんのためにもならない余計な説教かますのなんなの? そんなのこっちは望んでないわけ。だから聞く専でいられるひとじゃないと、余計ストレス溜まってしょうがないってことなの」

 「……まぁ確かに、仕事内容を詳しく話せる仕事でないぶん、余計な口を挟まずにいてくれたほうがいいだろうな」

 刑事課において仕事の内容を――たとえ親しい仲であれど――下手にぺらぺらと話すことはできないし、ただでさえ自らストレスを抱えるような事態に直面するのだ。やはり納得できる。

 「買い物はね、ほんっとーにわたしの楽しみなの。趣味とか一切ないわたしの、唯一の楽しみなの。非番の日にパーッと好きなもの買って、好きなもの食べる。で、次の非番にはコレ着よう、それでどこ行こう、何しよう、何食べようっていうのを楽しみに仕事してるのよ。なのに『長い』とか『さっさと決めろ』とか言われてみなさいよ。じゃあわたし何を生きがいにすればいいわけ? ていうかそれなら買い物より楽しいことアンタ提供できんのわたしに!! ってなるじゃない。まぁ今までの彼氏みんなムリだったけどね大口叩いといて!!」

 しかし、ここは頷きかねた。

 「……買い物に関してだが。おまえ、『どっちが似合う』とか相談もするんだろ? 男物は女性物のようにあれこれデザインが豊富なわけでもないし、よく分からん。色を聞かれても、相手の好みにあったものを選ぶ自信というのが――」

 俺に最後まで言わせることすら許さず、は目元を釣り上げて怒りの感情を顕にした。

 「あのねえ、なんのために聞くんだか分かる? 自分で決められるわよ洋服だろうがアクセだろうが。だけどわざわざ聞くのは、『かわいい』とか『綺麗』とか言われたいからなの。彼氏が『こっちが似合う』って言ってくれたのを着たいの。彼氏のためにオシャレしたいから彼氏の好みを聞いてんのよバカなの?! 分かるでしょ!!」

 あぁ、なるほど。
 ――となると、つまり。

 「そうか。……、質問してもいいか?」
 「いいわよ。なに、狡噛くんも焦ってきた?」
 「同業者はどう思う」

 俺の言葉には一瞬きょとんとして見せて、その後、気がついたと言わんばかりに「同業者……あぁ、相手?」と首を傾げ、水の入ったグラスを持ち上げると中身を口に含んだ。

 「そうだ」

 は肩を竦めた。

 「別に? 職種なんてどうだっていいわよ、今の条件満たしてれば。まぁ、時間の都合がつくっていう面ではいいかもね。あとわたし、結婚しても仕事は続けたいから。たとえば公安で仕事してるひとなら、『危ないからなんたら〜』みたいなこと言うのなんていないでしょ。……あら、それならここで相手探すのもいいかも……」

 思った通りに話を運べたようだ。

 そう思うと自然に口元がにやりとしそうになったが、なんともないふうに「そうか。なら俺はどうだ」と静かに言った。

 は真面目な顔で「あぁ、いいんじゃない? 狡噛くんほど好条件の男なんかそうそういないわよ。大丈夫、わたしが今挙げた条件満たせば、大体の女は落とせるわよ。自信持って」なんてのんびりとしたことを言っている。

 「……自分で言うのもなんだが、教育課程の最終考査は全国一位、俺はより上で公安に入った。体も鍛えてる。毎日トレーニングを欠かしたことはない。稼ぎは知ってるな。話もの気が済むまで聞く。仕事の話であっても、俺なら詳しく話すことだってできる。買い物もいくら時間がかかろうが構わないし、俺のために着飾ってくれるなら聞かれたことはすべて真面目に考えるし、真面目に答える。条件は満たしていると思うが」

 やっと俺の言わんとしていることが理解できたのか、は目をぎょっとさせた。

 「……ちょっと待って、一応聞くけどわたしのこと口説いてんの? やめてよ、狡噛くんわたしの同僚でしょ」

 その言葉に俺は少しむっときて、「同業者でも構わないと言ったのはだぞ」と返すと、は決まり悪そうに「いや、そうだけど……」と背中を丸めた。
 暴れ馬のほうがよっぽどかわいいとすら思えるような女だが、俺はそんな女のかわいいところというのを充分に知っている。

 「それに、俺ほど好条件の男はいないとも言ったし、が挙げた条件を満たしていれば大体の女は落とせると言った」

 「〜っそうだけど! そうだけど狡噛くんは違うでしょ!! わたしが探してるのは結婚相手なの!! 狡噛くん結婚願望とかないでしょ?! ていうかわたしは恋愛結婚したいの!!」

 中身が零れそうな勢いでグラスの底をテーブルに打ちつけると、は顔を真っ赤にしながらもそう怒鳴った。耳まで赤い。

 笑ってしまいそうになったが、ここで暴れられては困る。
 俺はやはり落ち着いた様子で言葉を続けた。

 「確かに結婚願望はないが、相手がおまえなら別だ。と一緒にいるために必要なら結婚する。恋愛結婚かどうかはおまえ次第だ。俺はもうおまえに惚れてるんだから問題ない」

 は力が抜けたというように、テーブルに突っ伏して俺を睨み上げた。

 「……狡噛くんそんな素振りちっとも見せなかったじゃない」

 「そりゃそうだろ。男が週替わりする女相手なんだ。振られたらたまらないからな、慎重にもなるさ」

 恋愛結婚をご所望だと言うのに、こいつは同じ相手と長続きした試しがないのを俺はよく知っている。

 初めはとんでもない女性を好きになってしまったもんだと頭を抱えた。

 「人聞きの悪いこと言わないでよ、合コンとお見合いしかしてません」

 「付き合った別れたという話しか聞いた覚えがない」

 「恋愛結婚したいんだから、何度かデートして相手を見るのは当たり前でしょ。だからとりあえず付き合うの。で、ダメだったから別れてるの」

 まぁ本人はこう言っているので、俺は今回の手を使ったわけだが。

 「そうやって使い捨てられるわけにはいかないからな。シビュラの判定を勧めたのは、それでおまえが“どういう相手”を望んでいるのか知るためだ。聞いてみれば、どうやら俺は条件を満たしている。が俺を好きにさえなれば、おまえの望む“恋愛結婚”ができるぞ」

 もう我慢ならないと俺がにやりと笑うと、は首を思い切り左右に振った。

 「そうかもしれないけど! そうかもしれないけど! ちがうでしょ! 違うじゃん!! 〜っ狡噛くんのこと、そんなふうに見たことない!」

 「『何度かデートして相手を見る』んだろ? 今度は俺を見てみればいい。『とりあえず付き合ってみる』のはどうだ。……俺なら大体の女を落とせると、おまえが言ったんだ。今の状況では例外だとは証明できない。確かめてみる価値はあると思うが」

 はしばらく俺を睨んでいたが、ぐっと一度何かを堪えるように飲み込んだ後、「……分かった」と小さく呟いた。

 「とりあえず、付き合うだけ付き合ってみましょう。ただし、期限は一ヶ月。その間にわたしは狡噛くんを見極めるし、狡噛くんもいくらだってわたしを値踏みしていいわ。それで本当にうまくやっていけるか、お互い判断しましょう。いい?」

 「分かった」

 そうして俺ととの交際はスタートした。




 「聞いたわよォ〜、慎也君。あなた、やぁっとと付き合うことになったって?」

 事件についての情報分析を頼んでいたところ、結果が出たというのでラボに顔を出すと、唐之杜はまず初めにそう言った。

 分析官である唐之杜のところへいち早く情報が届くのは、まぁ何事においても驚きはしないところだ。事件のことについてはもちろんのこと、“色々”な面で情報通なので。
 だが、とのことに関してはまさか知られているとは思わなかったので、俺は苦笑いで返した。

 「あぁ、さすがに耳が早いな。どこから聞いた?」
 「どこからも何も、あなたの恋人からよ」

 思わず目が見開いたのが分かった。

 「……は自分の口では誰にも言わないと思ってたんだが……意外だな」

 あれだけ渋っていたのだから、少なくとも公安の人間には誰にも漏らさないだろうと予想していたが見事に裏切られた。そういえば、あの女に関しては何事もそうであったと思い出す。

 唐之杜は煙草に火を付けてふぅっと煙を一つ吐き出すと、「いつもなら『付き合った』、『別れた』って事後報告なんだけどねぇ〜。どうやら今回だけは“特別”みたいよ?」と薄く笑う。
 それが俺にとってどういう意味なのか分からないので「……そうか」と曖昧な返事しかできなかったわけだが、唐之杜はそんな俺を見て今度は肩を揺らして笑った。

 「あんなにあたふたして相談してくるなんて初めて見ちゃったぁ〜。“暴れ馬”なんて言われてても、そういう女こそ一度懐いたらかわいいモンだってこと、知らない男が多すぎるわ。ねぇ?」

 なるほど、俺にとって決して悪い意味ではないらしい。その上、これはなかなかに上々の反応なのではないだろうか。

 そう思うと気分が良くなって、「知られても困る」と応えた声はどこか嬉し気に聞こえた。
 唐之杜もそれを察したのか「アハハ」と声を上げて笑うと、「他の男に横取りされたら困るって? かわいいところあるのね、あなたも」と言うので肩を竦めたくなったが、このことを教えてくれたことに感謝の念があるのでやめておいた。

 「俺以外の男じゃ自分を扱えないってこと、あいつも早いところ気づくといいんだがな」

 俺の言葉に意味深そうに口元をしならせて、「フフ、それもそうね。頑張ってね、慎也君」と言うと、唐之杜は俺をラボからさっさと追い出した。


 「……肝心な仕事を忘れていた」

 俺はもう一度ラボに戻ることになって、はぁと溜め息を吐いた。
 話を聞いた俺も、本人もそうらしいが――落ち着かないのはどうやらその周囲もらしい。

 この調子だと先が思いやられるな、と俺はもう一度溜め息を吐いた。






画像:はだし