振り向いてくれるっていうなら、どんなに汚いと言われようと、その手を使ってやるのに。


 窓際の席で友達とくすくす談笑しているさんを見つめながら、俺はいつもそんなことを考えている。

 毎日、こんなにも熱視線を送っているのに、彼女はちっとも気づくような素振りを見せない。本当は気づいているかもしれないけれど、それならそれが俺の気持ちに対する答えだ。何があっても、絶対に振り向かないという。

 実際、彼女のその判断は正しいものだ。

 さんは清く岩ちゃんの彼女だ。どこまでも真っ直ぐな精神の持ち主である岩ちゃんにふさわしい。だからこそ、何があったって俺のことを恋人になんてしてくれない。
 そして俺も、岩ちゃんを裏切ることはできないし、それなら心奪ったひとを裏切るなんてもっと無理な話だ。いっそ好きだって言ってしまえばいいのにとも思うけれど、そのこと自体が裏切りなのだ。

 なので、今日もこうして想いを燻らせるしかない。


 「おンまえさぁ、毎日毎日そんなにサンのコト見つめちゃってどうすんの?」


 カタン、と控えめな音をたてて、目の前の椅子が揺れた。きっと脚が歪んでいるか、すり減ってしまっているんだろう。きちんとバランスが取れていない。

 「げっ、マッキーかぁ……」
 「なんだよそのクソ失礼な反応」

 マッキーは眉毛をぎゅうっと思いっきり寄せたけれど、結局のところ俺に対して悪いことを思っているわけじゃないのは分かっている。マッキーはマッキーなりに、俺のことを心配してくれているのだ。きっと。当の本人である俺を除いては、きっとこいつだけが知っている。報われることのない――絶対に叶うわけない、俺の恋心の存在を。

 だからか、最近は少しの休み時間でさえ、教室に顔を出しにくる。マッキーはそんなこと直接口にしたことはないし、俺がハッキリ言うまでは何も言わないだろう。
 俺はそのことに安心しながらも、どこかで誰かに言いつけてほしいと思っている。そうしたら、何もかもスッパリと諦めることができるんじゃないかと、他人事のように望みを託しているのだ。

 「いや、マッキーが“こういう”ことに鋭いのは知ってるけど、厄介なのにバレちゃったなぁって」

 困った困った、と笑いつつ、俺はさんに注ぐ視線を逸らしたりはしなかった。

 するとそこへ予鈴が鳴ったので、俺は笑った。
 なんの進展もないまま、ただ何かを気づいて――感じ取ってくれたらいいのにと、繰り返し考えながら。 いっつもいっつも、こうやって時間だけが過ぎていく。

 「あ、予鈴だよ。はやく教室にお帰り〜」

 予鈴を合図にさんの席を離れる友達を見送って、彼女はすでに準備してあったノートを広げてそこへ目を落としている。ほんと、真面目な子だ。
 もっと不真面目で、岩ちゃんに似合わない子だったらよかったのに。そうしたら薄汚れちゃってる俺が手を出したって、誰も咎めたりなんかしなかったろうに。
 でも俺は、清くてどこまでも真っ直ぐなさんを好きになってしまったのだ。
 そうだったら、そうであれば、なんて想像したところで何も変わらない。ただ時間だけが過ぎていくのだ。

 マッキーは首の後ろに手をやると、「……言う気ないし、どっちの味方するとかそういうのもない」と言った。

 俺は思わず笑ってしまった。冷たい指先が、ほんの少し温まっていくような気がする。
 どっちの味方もする気ないなんて、嘘ばっかりだ。けれど、マッキーのためにも俺のためにも――みんなのために、俺は分かっている顔をしたらいけない。

 「……平等だねえ。俺だったらすぐ手助けしちゃうよ。……だって、かわいそうでしょ?」
 「いや、無理だネ」

 のんびりした声で俺が言うと、逆に鋭い声が返ってきたので驚いた。それと同時に、意地の悪いことするなぁと思った。せっかくじんわりした指先が硬くなっていくのが分かる。

 全部お見通しのうえでそんなこと言うなんて、ズルもいいとこだ。傍観者の立場でいるなら、なんにも知らないふりを貫くか、余計な茶々を入れるかのどちらかしかないのに。

 でも本当にズルいのは、マッキーはそのことすらよく分かっているところだ。

 「なんで?」

 そう聞いた俺に、極めつけに、こんなこと言うんだからひどいったらない。


 「おまえ、ヘラヘラしてるけど義理堅いの、俺は知ってるぞ」


 義理堅いとか、そういうのとは一切無縁だよって言ってやりたくて仕方なかった。
 どっちの味方もしないというのは本当だろう。俺と岩ちゃん、どちらの肩も持たない。
 だから、マッキーはさんの味方なのだ。

 そうなると結局、マッキーは岩ちゃんの手助けをすることになるわけだ。
 さんは岩ちゃんのことが好きで、いつだってその目に映していること、俺が誰より知っている。俺たちみたいなのとは比べものにならないくらい、とってもか弱い女の子の味方をするのは、男として生まれたからには当然だ。だから、しょうがない。

 何もかもが俺に『間違ってる』と言っている。そんなの百も承知だけれど、それで何もかもをゼロにできるなら、世の中の問題という問題すべてが解決することだろう。世の中というのはいつだって、厳しい。だから、さんの味方の――結局は岩ちゃんの肩を持つマッキーは、そんなこと言ったらダメなのに。


 「まぁなんにせよ、“うまく”やれよ」


 『“うまく”やれ』なんて、とんでもなくひどい。

 俺は岩ちゃんを裏切れない。
恋人の幼なじみとして、俺のことを信用しているさんのことは、なおさら。

 それでも俺は、許された気分になってしまって、ただただ時間が過ぎていくだけの現実だと分かっていても、これがずぅっと永遠に続けばいいなぁなんてことを思ってしまう。俺が心の内に秘めてさえいれば、いつまでだってさんを好きでいい。


 でも、何かが起きて、何かのタイミングが重なって、びっくりするような奇跡が降ってきてくれたのなら、俺は自分で自分を信じられないくらいに汚い手を平然と使うはずだ。そうして岩ちゃんからさんを取り上げて、そのくせにこにこしながら何事もなかったかのように振るまうことさえできるだろう。だって俺が使おうとしているのは“汚い”手だ。岩ちゃんにもさんにも――つまり誰にも知られることなく、ごく自然にさんの恋人として堂々と隣に立つわけだ。

 あぁ、唯一マッキーだけが想像がついてしまって苦い顔をするだろうけれど、そんなのは些末なことだ。俺はさんを好きなのだ。それってつまりは特別執着しているってことで、俺はそういうものを一度だって諦めたことがない種類の人間だ。

 幸いなことに、岩ちゃんとさんの関係を知っているのは俺と――というか、バレー部の特に岩ちゃんが親しくしているやつらだけなので、もしもそういうことが起きたとしたって、誰もさんを責める理由はない。

 なんでも岩ちゃんは、さんとの関係をからかわれるのが嫌らしい。俺だったら、みんなに自慢して回るのに。岩ちゃんてヘンなトコで意固地で一度言ったら意見を変えるようなことはしないタイプだから、さんは何も言わないけれど、本当のところはどう思ってるんだか分からない。それでも、岩ちゃんがさんを好きなことに変わりはないし、さんも岩ちゃんのことを好きなことに変わりはない。


 だって俺は、分かってしまう。


 岩ちゃんがそうやってさんとの関係を隠すのは、この年頃特有のよく分からないしつこい絡み方を、さんがされるのを避けたいと思っているからだってこと。
 その気持ちを汲んで、さんはそれに大人しく従っていること。
 ふたりは、どこまでも相思相愛だ。きっとふたりの関係をみんなが知ったら、みんなが祝福するに違いない。

 それなら、俺の気持ちってどうなるんだろうか。考えなくても分かりきっていることだ。俺のこの気持ちは誰にも祝福なんてされるわけがないし、誰もが認めてくれない。それに、俺を軽蔑だってするだろう。

 あぁ、もしも神さまってやつが存在するとしたら。

 そうなると、俺の願いは――俺のこの気持ちは、どうしたって叶うことはないんだろう。俺がどんなふうにお願いしたって、あんなにもお似合いのふたりを引き裂くようなことはしないだろう。だから、ただ純粋なはずのこの恋心は、結局みんなに否定されてしまう。


 でも、仮に。もしも。神さまが俺の願いを叶えてくれたとして、どうなるだろう。
 少し考えてみて、それからやめた。


 だって、俺は考えてしまう。もしもそうなった――俺にさんが与えられる――として、俺は幸せなはずなのに岩ちゃんのことが気になって気になって仕方なくって、きっとさんを困らせてしまうだろうなと。いや、困るというよりも、俺が一番恐れていること――悲しませてしまうんじゃないかと。清くて真っ直ぐなさんには、それにふさわしい出来事に囲まれていてほしいのだ。ずっとずっと、きれいなまんまでいてほしい。

 そうなるとやっぱり、どんな手を使ってでも、なんて考えている俺の中にわずかに残っているいわゆる良心ってやつが仕事して、『こんなことは卑怯だ。大人しく諦めよう』なんて思う。
 けれど、それは現段階でのただの想像であって、“その時”の現実ではない。どうなるかなんていうのは、その瞬間になってみないと分からない。

 でも、酷くも安心できることに、そういうことは起きなさそうなのが今の現実だ。

 あぁ、ホント、ひどいったらないなぁ。
俺はもちろん、意地悪なマッキーも――岩ちゃんも、さんも。


 こっそり、さんが部活を覗きにくることがある。
そのことに誰よりも早く、いちばんに見つけるのはいつだって俺だ。

 小さく手を振るさんの姿を見て、岩ちゃんにそっと「さん来てるよ。かっこいいトコ見せなくっちゃね〜?」と耳打ちするのだ。そうすると岩ちゃんは顔を真っ赤にして怒るけれど、それは照れ隠しだって俺は嫌というほど知っている。

 俺の頭を一発殴ったあと――教えてあげてるのにホントひどい――二階のギャラリーを見上げて、ほんの少しだけ口元を緩めるのだ。ずぅっと長いこと幼なじみをやってきたのに、岩ちゃんのそういう目を見るようになったのは、さんと付き合ってからのことだ。

 俺は、純粋に真っ直ぐに、さんをそんなふうに見つめることができる岩ちゃんが心底うらやましい。

 こっそりと、それでも、触れることができないほど熱い視線を、毎日毎日飽きもせずにさんへ注いだって、俺にはなんにも返ってきやしないのだから。

 さんだってそうだ。あんな優しい目で、好きなんだって全部分かってしまうような目で、岩ちゃんしか見ていない。俺はずぅっとさんのことを見ていたから、岩ちゃんにだけ向けるその視線がどれだけ特別なのか、分かってしまう。やっぱり、ひどいったらない。


 俺がもっと早くに――岩ちゃんがさんを好きなるまえに、さんに好きだと言っていたら、彼女は俺の恋人になっていただろうか。

 そういうことを考えてみる瞬間は確かにあるけれど、そんなことはありえないなぁと思う。だって、どこまでもあのふたりはお似合いなのだ。つまりは、こういうことだ。


 「……俺が誰より、ふたりを認めちゃってるんだよねぇ」


 あぁ、ひどいったらないよね、ホント。






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