「キミって人は本当にどうしようもないですね」 「そのどうしようもない人に付き合ってる黒子くんも、相当どうしようもないよ」 それもそうだな、と納得してしまったので、反論することはできなかった。 ただ、可愛げなんてちっともない人だ、と今更ながら思ったので、「それから嫌な人です」と言ってやった。 するとさんは面白いとでも言い出しそうな顔をして、「そうかなぁ」と言った。本当に嫌な人だ。でも、これにも返す言葉などはないのだ。ボクは心の底から、このどうしようもない人を愛おしいと思っているのだから。 「ねえ、ちょっと思ったんだけど」 散々に暴れたんだろう。部屋は散らかっている。 荒れていると言うほうが正しいかもしれない。 ボクはとりあえず目に映った本を手に取って、本棚に戻した。 「なんですか」 「わたし、黒子くんがいるから生きてるんだろうなぁって」 これにはほんの少し驚いたので、なんてこと言うんですか、と言おうとしたのだけれど、それは喉元でつっかえてしまった。ほんの少しだけ、そうであればいいのにと思ってしまったからだ。 ボクは彼女の言うとおり、どうしようもない。 「キミを必要としている人は、いくらでもいますよ」 当たり障りない答えだ。でも他にどんな言葉があるか分からなかったし、これでさんが納得してくれればいいと思ったのだ。 本当は、彼女の言うとおりの男にはなりたくない。当たり障りのない言葉に隠したことを悟られるのにはまだ早いのだ。ボクは彼女に、キミが好きだと言う勇気はないのだ。それに、今の曖昧な関係をこれはこれで気持ちいいと思っているし、秘密の共有ほど甘いものはないと実感している。 「そうだとしたら、こんな風になってないよ。さっき黒子くん言ったじゃない。わたしはどうしようもないって」 いつも賑やかさの中心にいて笑っているさんが、それをとんでもなく苦痛だと思っていることを知っているのは、さんの家族以外にはボクだけだ。そして時折、偽りの自分と本当の自分とのギャップに耐えられずに、こうして部屋を散々に荒らしていることも。 ボクがさんのそれを知ったのは、本当に些細なことがキッカケだった。自主練しようと思い立ち、みんなが帰ってしまった静かな体育館に残っていたところ、彼女がうずくまっているのを見つけた。 どうしたんですか? と声をかけたボクを、さんはキッと睨みつけて「うっさいな、ほっといて」とハッキリした口調で突き放した。 ボクは柄にもなくビックリして、もう一度「どうしたんですか」と言った。すると途端に目を潤ませて、「ほっといて」と震える声で答えた。 ボクはまたビックリしたけれど、「放ってなんておけません。何があったかは聞きませんから、家まで送らせて下さい」と言った。これには答えなんて必要なくて、ボクは彼女を無理矢理に立たせた。さんは声を上げて泣いた。これにも答えなんて必要ないと思ったボクは、黙って彼女の手を引いた。 それからだ。なんとなく二人でいる時間ができたのは。ボクはもちろんさんを気にするようになったし、そうすることで彼女もボクを気にするようになった――はずだ、と思う――。こうして本心を曝け出してくれるくらいには、ボクのことを信用しているのだろう。さんの家族も、ボクを信頼してこうしてさんの部屋へと入れてくれる。さんがこうなるとき、彼女がボクに連絡しているのを知っているからだ。 火神君が「お前ら急に仲良くなったな」と言ったときには、ヒヤリとした。 彼のように裏表なく、誰にでも同じ態度でいられるような人が、さんは一番嫌いなのだ。 そっと顔色を窺ったときには、なんでもないような顔をして「そうかな? でもこれでもわたしマネージャーだし、選手と仲良くなったっていいでしょ? 何、うらやましいの?」なんて言って笑っていたが、その日彼女は今日のように部屋で大暴れした。視界に捕らえたもの物すべてを壁に打ち付けて、大泣きした。部屋の外でボクらの様子を心配しているであろう彼女のお母さんには申し訳なかったけれど、ボクは暗い喜びを感じていた。 「キミはどうしようもない人だと思いますけど、ボクがいるでしょう」 矛盾しているなと思った。さんは笑った。薄ら笑いをして足元に転がったバスケットボールを拾い上げると、指先でそれをくるくると回した。目眩がしそうだ。ボクがいる、というのを、彼女はどう受け取っただろう。 「どうしようもないって思ってるんじゃないの?」 「だからボクは、キミのそばにいたいんです」 「他の誰もわたしを必要としてないから?」 「キミがそう思うのならそれで構いませんが、ボクがいるでしょうと言いましたよ」 「へえ、随分優しくしてくれるね」 それはもちろん、キミのことが好きだからだ。口にする勇気はなくとも、こういうときにはこれが伝わればいいのにと思ってしまう。ボクはやっぱり、彼女の言うとおりの男で、どうしようもない。 ボクはさんのことをどうしようもなく可哀想な人だと思っているから、彼女のことが好きなのだ。そしてそれを他の誰でもなく、このボクだけが知っているということが重要だ。 特別なところなんて何もないボクを、世界の中心とでも思って必要としてくれる。だからこそ、彼女のことが愛おしいのだ。 明るく温かい感情で彼女を包み込んであげられたならと思うことも時たまあるけれど、ボクがもしそうなったらさんはボクを遠ざけるだろう。 ボクがいるから生きていけるとまで言うこの人を、ボクは手放すことができない。 彼女のその感情が、男に向ける愛なんて名前のものじゃなくても。 「それで、今日は一体どうしたっていうんですか」 「別になんてことないよ。ただ、火神くんてムカつくな、ホント。って思っただけ」 彼女はぽんとボールを空へ放ると、胃の中のものを吐き出すんじゃないかと思うほどに、気持ち悪げに言い放った。 火神君にはなんの非もないし、彼は彼でさんのことを気に入ってるのに報われないな、と思った。 けれどそれで結構だ。彼女にも、ボクにも。 何がどうしてさんがこうなってしまったかなんてどうだっていいことだ。ただ、彼女は自分の中の本能的な激情をどうにも処理できないということだけである。 ボクはそれでいいと思っている。そうでなければ、ボクはさんに近づくことすらできなかっただろうから。 ――ただ、ボクは知っているのだ。 火神君のような真っ直ぐな人に憧れている。 自分もそうなれたらいいのに。そうであったころの自分に戻りたい。 さんがそう思っていること。でも、彼女がそれを知る必要なんてないのだ。いつまでもボクを世界の中心として、ボクがいるから生きていけると思っていれば。 ボクの中にも、処理できない本能的な激情がある。 眠るように小さくなっているけれど、それは確かに息づいている。そして静かにその牙を研いでいるのだ。いつ、彼女の喉を引き裂いてやろうかと。 ただ、その頃合いが分からなくなってきている。これはこれで気持ちいいから。 「キミは本当に火神君が嫌いですね。どうしてですか」 「ムカつくから。理由なんてないよ」 「そうですか。それならボクはどうです?」 あはは、とさんは笑った。無邪気だ。なんにも悪いことなんて知らない。自分がなんなのかも知らない。その感情に名前を付けるとしたら、なんであるかも。 「黒子くんのことは大好き。だってわたしのどうしようもないところ、全部分かってくれるから」 本当はその真逆だって知っているから、キミは嫌な人なんですよ。 言ってしまうのは簡単だけれど、ボクはどうしようもない男であると同時に、嫌な人なのだ。 だからキミが気づいてしまうまでに、一撃で仕留められるほどこの牙を研いでおかなければ。 |