「ねえちゃん、いつになったら俺と付き合ってくれる?」 いつも酒の勢いを借りないと言えない。本当は素面の状態で、跪いてお願いしたいんだけれども。ちゃんは「アハハ」と笑って、それからいたずらな目をして言った。 「天下のボンゴレのボスとお付き合いなんてムリムリ! わたしには荷が重すぎ。綱吉くんにはもっとお似合いのお嬢様がいるよぉ」 口ではそう言うくせに、その甘い瞳は俺を誘惑する。わたしを口説き落としてみせて、と。だから俺は毎夜毎夜このバーへ通って、ここでバーテンをしている彼女に何度もお願いするのだ。 俺と付き合って。もう何度このセリフを口にしたことか。足の指を使ったって数えきれないだろう。あと何度お願いしたら「いいよ」と頷いてくれるのかサッパリだ。こんなときにこそ超直感なんてものが働いてくれたらいいのに。そんな上手い話はないらしい。 仕事(なんとも面倒な交渉)に行き詰まってどうしたものやら、とデスクに突っ伏してるうち、そうだ一杯ひっかけてこようと外へ出て、ウチのシマをふらふらしているところなんとなく目に入ったこのバーで、最初に目が合ったのがだった。誰より先に俺に気づいて、「いらっしゃいませ」とにこり笑った。彼女のその一言で店中の視線が俺に集まると、「ボスだ!」とどこからか声が上がり、たぶん後ろ暗い何かがある連中がそそくさと店を出た。 「わあ、ごめんね。自分のシマ――うちが管理してる地区で、こんなことになるとは……あはは。商売に関わるでしょ」 「いえいえ、とんでもない。ボンゴレのボスが来てくれるんなら、やっぱり上等な席は空けないとね」 いたずらっぽく笑ってできたえくぼに、俺ははたと思う。 「ねえ、わざと?」 「え? 何がです?」 本当に分からないという顔をしているが、これは嘘だ。 周りがこれぞボンゴレ! と騒ぎ立てる“超直感”が働いた。 「きみ、俺に『いらっしゃいませ』と言ったけど、普段は言わないだろう。俺が来たから逃がしてやったんじゃないかな? 今、店を出て行ったやつらを」 俺がそう言うと、彼女は肩をすくめて「やぁ、これが“超直感”ってやつです? やだなぁ」なんて言って振り返り、磨いていたグラスを棚に戻すと、くるっとまたこちらを向いた。それからとっても愛らしい笑顔で、「それでボス、何をお飲みになります?」とえくぼを浮かべて言った。きみのおすすめは? と聞いたところ、バーテンやってるけどお酒はよく分かんないです、なんて返ってきたので困った。 店を出て行ったのはほんの数人だったので、まぁ今のところすぐにでも問題が起こることでもないだろうと、俺は本来の目的の“休憩”に専念することにした。店に残っている客は俺に声こそかけてはこないが、友好的な雰囲気で受け入れてくれているのが分かる。いわゆる、“善良”な“一般人”だ。 さて、それじゃあこのお嬢さんはどうだろうか? と俺は目の前で(なんとか考えた)“オススメ”をつくる彼女の手つきをじっと見つめた。華奢な手首だ。きっとシェイカーすら重たいんじゃないかと思うほど。それに指も細くて綺麗だ。色も白い。後ろ暗い事情を抱えた人間と関わり合いのあるようには見えない。けれど彼女は先ほど、もちろん肯定なんかしなかったけれど、かといって否定もしなかった。彼女はどういう立ち位置にいる人間だ? ウチのシマで商売をしているということは、ウチに許可を取って営業をしているということだ。酒場なんかは特にクスリや“悪いモノ”の取り引き、その段取りの打ち合わせに使われることが多いから、チェックは厳重だ。この店も、本部へ帰って調べればすぐに出てくることだろう。オーナーの名前、プロフィール。もちろん、ここで働く従業員のものもすべて。つまり、ここで堂々とバーテンをしているからには、彼女は“善良”な“一般人”であるという経歴の持ち主ということだ。彼女が逃がしてやった後ろ暗い連中と関係があるとして、ボンゴレの厳重なチェックをどう潜り抜けたんだろうか。どこのファミリーの、なんのための人材だろうか。 「お待たせしました。ラスティ・ネイルです」 「ああ、ありがとう」 すると彼女はチラッと壁時計を確認すると、「じゃあオーナー、わたし上がりますね」と言ってさっさとカウンターを離れようとした。俺は思わずその手首をぐっと握って、「ねえ、きみ名前は?」と言うまでは放さないという意味を込めて尋ねた。すると参った、弱った、非常に迷惑、という顔を見せながらもこちらの態度が変わることはないと分かっているようで、「。です、ボス」とお情け程度にえくぼを浮かばせた。 「そう。ちゃん、次の出勤はいつかな?」 「ちょっと、ウチはキャバクラじゃないんですけど」 「あはは、分かってるよ。でも今度はきみとおしゃべりしに来たいんだ。……仕事の休憩にでもさ」 瞬間、の目の色がほんの僅かだが変わったのが分かった。 「そうですか。わたし、毎日出てますよ。ほんとはバーテンっていうより、ウェイトレスみたいな感じで。でも人手が足りてないからバーテンごっこさせられてるんです。ね、オーナー」 がそう言うとオーナーだという男――灰色っぽい口ひげをたっぷりと蓄えた、非常に“らしい”男だ――は、こつんと拳をの頭にぶつけた。やだぁいたぁい! ほんとのことなのにぃ! なんて笑って抗議している姿は、その辺の“善良”な“一般人”に見える。けれど、ここで捨て置くのは違う。彼女が逃がしてやった連中のようなもんじゃない。が秘めているものは。もしかしたら危険かもしれないけれど、ちょっと自分で調べてみたくなった。屈託なく笑い、かわいいえくぼを見せる彼女の正体を。 「やぁ」 「あら、今日も」 あれから何度か店へ顔を出すうち、胡散臭そうな連中が店内にいることは一度とてなかった。がなんらかの手引きをして他の場所を紹介したのか? とも思ったが違う。 最初の日に本部へ戻ったあと、交渉のことなんてそっちのけで店について調べてみた。オーナーの名前はベンヴェヌート・アニエッリ、五十六歳。三十二のとき、今の土地でこの『Compito』を始めた。それ以前――彼の出生まで――遡っても、特に問題はなかった。つまり雇い主であるアニエッリにはなんの問題もないということだ。それではは? こちらもなんの問題もなかった。育ちはイタリアだが、生まれは日本だということでちょっとした親近感を覚えたくらいで。交渉のことであれこれ考えすぎて、ちょっと神経質になっていたのかもしれない。シマにネズミが一匹、二匹紛れ込んでいることなんてのは珍しいことでもないのに。超直感もアテにならないなぁなんて思いながら、その日もの目の前でグラスを傾けていた。そしてそれは起こった。 バンッ! と乱暴に開かれた扉のおかげで、来客を知らせるかわいいベルが不協和音を奏でた。「おい助けてくれよ!」という声には聞き覚えがあって振り返ると、やっぱりよく知った顔だった。 「ディーノさん!」 「ゲッ、ツナ! おいおいマジかよ〜!」 俺には何が問題なのかサッパリ分からないが、とにかくディーノさんは慌ててここへやってきて、俺の顔を見た途端、絶望したようにカウンターに寄り掛かった。参ったなぁ、なんて空中を仰ぎ見ている。その姿を見て、磨いていたグラスを棚に戻しながら、はクスクスと笑った。 「なぁ頼むって! オレと付き合ってくれ!! おまえのこと、マジで好きなんだ! 愛してる!!」 突然の告白に店内は沸いた。絶妙な具合の指笛や、乾杯の音が響き渡る。ディーノさんはカウンターから身を乗り出して、の小さく細い手をぎゅっと握りしめている。必死の形相だ。けれどはおかしそうに笑うだけだ。 「ディーノさんの愛情って薄っぺらいからなぁ……どこの女にもそう言ってるんでしょ?」 「いいや、おまえ一人っきりだぜ。だから頼む! オレと付き合ってくれ!」 なんだこれ、と困惑しているのは俺だけのようで、店中の人がこちらを見てげらげら笑っている。いや、つれない態度のに必死なディーノさんを笑っているのは分かるが、どうもそれだけではないような気がする。 そもそもあのディーノさんが、女性を口説くっていうのにこんな雑な方法をとるだろうか? それに二人の口ぶりからすると、このやりとりは一度や二度では済まなさそうだ。 なんだかなぁと思っている俺の隣へ、人の良さそうな――ここらの酒場には不釣り合いな――老紳士が、俺の隣を指さして「いいかね?」と聞いてきたので、断る理由もないので頷いた。ディーノさんとはまだなんだかんだと話している。まぁ、「付き合ってくれ!」「いやぁよ」「なんでだ!」「だって……」というような内容だ。 「キャバッローネの坊主はよくに求愛しにここへ来るが、あんたは違うようだね、ボンゴレ」 「え? いやいや、俺はそういうんじゃなくて……」 そういうんじゃないならなんだろう。このとき俺はハッとした。初めはこの店がおかしなことに関わっている、利用されているのでは? とか、そういうことの“調査”のためにここへ来ていた。けれどそもそもそれは初日のうちにおかしなことはないと分かったことであるし、ただなんとなく――そう、疲れたなとか、ちょっと休憩しようかな、とか――あの子、どうしてるかな、とか。そうだ、がどうしてるかとか、なんとなく気になってはここへ来ていたのだ。 老紳士に、「ありがとうございます。やっと分かった」と言うと、老紳士は一瞬驚いた顔を見せた。そして「あんた、ここがどういう店だか知らないのかい?」と俺の後ろを指差した。 するとそこにはなぜかロマーリオさんがいて、「おいコラッ! 仕事サボってんじゃねーぞボス!」とディーノさんの首根っこを引っ掴んで引きずっていこうとしている。 「あぁ! ! テメー!! いつの間に通報しやがった?!」 「ディーノさんが来てすぐよ。ほら、『Compito』の時間よ」 「ちぇー……先週は見逃してくれたのによぉ」 「だから今週はお仕事しなくっちゃね、ボス」 「……分かったよ。ロマーリオ、帰る。――と、ツナも“通報”されないうちに帰れよ。じゃあな」 通報? と首を傾げていると、老紳士が教えてくれた。 この『Compito』という店は、何らかの理由で仕事をサボってる人が逃げ込む店なのだということ。そしてここへ出入りしている人物というのはすべてオーナーに把握されているそうだ。そしてあんまりサボりが過ぎると、勤務先へと通報される。ディーノさんはによってロマーリオさんに“通報”され、連れ戻されたということらしい。 しかし一体どうして一介のバーのオーナーが、そんなことを引き受けて――いや、できるのだろうか? 一体どこの組織が、一体誰がそんなことを? と聞くと、いつの間にか目の前へやってきていたが笑った。 「自分の組織のことなのに、案外知らないんだね。あぁ、でもしょうがないか。ここ、ボンゴレの門外顧問機関――CEDEFが管理してるバーだよ」 それからね、ボスが最初に来たとき逃げてった人たち、ボンゴレの構成員だよ。と笑った。くっきりとえくぼが浮かんでいる。ここら辺のパトロール担当の人たちだけど、たまーに休憩に来るの。サボりというほどじゃないよ。でもさすがにボスがいたら“休憩”も何もないよね。 なるほど、それは後ろ暗いし胡散臭いわけだ。なんてったってマフィアである。 は俺のグラスを指差すと、お代わりいる? とじっと俺の目を見た。俺はその目をまっすぐ見つめ返すと、「じゃあさっきのディーノさんのきみへの告白は?」と返した。 するとは「あぁ、アレ」と言ってグラスを手に取り磨き始めた。 「アレはああやってわたしのご機嫌取りして、“通報”避けるためだよ。みーんなすぐそんなのにわたしが乗っかるって思ってるんだから嫌よねぇ。こっちだってお仕事なのにさ」 「ねえちゃん。俺がここへ通ってるのって、きみが好きだからなんじゃないかと思ったんだけど、付き合ってくれる?」 「やだぁ、ボスまでそんなこと言うの? ここでオーケーしたらわたしが怒られちゃうよぉ」 「違う、“通報”のことじゃないよ。男と女として付き合ってほしいって言ってるんだ。思ったんだ。俺、どうしてここへ通うようになったんだろうって。最初はなんとなくって思ってたけど、その“なんとなく”はちゃんが今どうしてるかなって気になって“なんとなく”ここへ来てたんだ。それで、さっきのディーノさんの告白も、この店のシステムもやっと理解が追いついたけど――あぁ、つまり俺、きみが好きみたいなんだ」 はただ目を丸くするばかりだった。 それからしばらく――。 「ねえ、いつになったら俺と付き合ってくれる?」 いつも酒の勢いを借りないと言えない。本当は素面の状態で、跪いてお願いしたいんだけれども。は「アハハ」と笑って、それからいたずらな目をして言った。 「天下のボンゴレのボスとお付き合いなんてムリだってば! 何度も言ってるでしょ? わたしには荷が重すぎ。綱吉くんにはもっとお似合いのお嬢様がいるよぉ」 口ではそう言うくせに、その甘い瞳は俺を誘惑する。できるものならわたしを口説き落としてみせて、と。だから俺は毎夜毎夜このバーへ通って、彼女に何度もお願いするのだ。 俺と付き合って。男と女として、俺とちゃんと向き合って。俺を見て。もう何度このセリフを口にしたことか。足の指を使ったって数えきれないだろう。あと何度お願いしたら「いいよ」と頷いてくれるのか。彼女が深い可愛らしいえくぼを浮かべて、「いいよ」と答えてくれる姿を何度想像しただろう。 でも彼女は毎度、夢の中でさえも頷いてはくれない。 それでも俺を誘う甘い瞳があるうちは、俺は絶対に諦めたりなんかしない。 そのうち“通報”されちゃうかなぁ? でも今まで一度もそんなことがないのは、そういうことなんだと思いたい。 |