「やだぁ、もう、酔ってるんでしょ、ツッくん」 くすぐったそうに笑うのピンクベージュのドレスの肩紐をそっと外す。それから肩に唇を落として、「酔ってたらこんなことしないよ」と俺も笑った。実際くすぐったいのはだろうけれど、俺は心がくすぐったかった。 今まさに行われている年末パーティーで、俺との婚約を発表した。式はまだ先を考えているけれど、俺ととの婚約で会場は大いに沸いた。階下のパーティーホールでは、まだどんちゃん騒ぎだろう。主役だと最初は俺ももあちこちに挨拶に回ったり、誰かしらに絡まれたりしていたが、もう酔っ払いたちは何もかもがめでたいと飲みに飲んで、俺とがこっそりと抜け出したことに気づいていないだろう。気づいている人がいるとしても、こうしていられるということは気を利かせてくれているというわけだ。 「ねえ、いいの? ボンゴレ主催の年末パーティーなのに、主催者のあなたがいなくて」 「俺がいてもいなくても、あの様子じゃ関係ないよ」 は少し考えるように瞳をさまよわせたあと、「それもそうね」とクスッと笑った。 誰も彼もがこの一年のことを振り返り、あの時はああだったこうだった、と話しながら酒を好きなだけ飲んでいた。後悔にしろ来年での目標にしろ、騒ぎ立てる内容は人それぞれだ。 俺の後悔とはなんだろう。そう考えながら、今度はの鎖骨にキスをした。「くすぐったいったらぁ」と身をよじるの抗議は聞こえないふりをした。いつものように。 そうだ。一つ後悔を挙げるとしたら、をこの世界に引きずり込んだことだ。マフィアなんてものには一切関係なかった一般人の彼女を、“俺”が彼女を好きになったというだけで、平和な日常から攫ってしまった。 はボンゴレの管理している地区で、花屋の店員をしていた。電話帳の隅っこに載っているあまり大きな店ではないけれど、俺はそういうものの方が好きだから、何か必要なときにはいつもそこへ頼んでいた。そこへ電話をかけたり、直接顔を出したりするのは獄寺くんに任せていたけれど。彼にはお祝いの花や――いや、“ボンゴレ”の格式に合ったようなもの、それを見極める目、そつのない手際の良さがあったから。 でもある日、なんとなく自分の――俺が直接ではないけれど――管理しているところの環境がどうなっているのか気になって、獄寺くんと一緒にその花屋の辺りを回っていた。俺は“ボンゴレ”だと言われても、そういうものが――素朴でなんの飾り気のないものが好きだから、ふとその花屋に目がいった。花に特別興味もないし、だから詳しくはなかったけれど、それは知っていた。色とりどりのパンジーと――たんぽぽだった。 普通、花屋にたんぽぽが置いてあるのかも知らないけれど、視線を落とさなければ気づかないような、路肩にひっそり咲いている花を店先に出すだなんて変わってるな、と思った。もっと華やかな花を置くのが普通だろうに、ということだ。そこへ獄寺くんが「十代目、ここがいつも花を頼んでる店ですよ」とこそっと耳打ちしてきた。若い女性の店員――この女性こそがだった――は、にこにこしながらたんぽぽを気にしていた。俺はそれを見て、「それは売り物なの?」と聞いた。すると彼女は「いいえ、たんぽぽはそういうものにはならないですから。でも、わたしが好きだからって、店長が置かせてくれてるんです」と言って、「かわいいですよね、たんぽぽ」とそれが植わっているプランターを見つめながら、やっぱりにこにこしていた。俺と感覚が似ている人だな、とそのときにはそれだけだった。「十代目、そろそろ……」という獄寺くんの言葉にも大人しく従った。けれど、あの花屋はとてもいいと俺はその後、上機嫌だった。 それからしばらくして、本部の玄関ホールの花を獄寺くんがいつも枯れるまえに、季節が変わるまえにせっせと交換しているのだというのを山本から聞いて、俺は行動に出た。あの花屋に頼んでいるのは分かっているのだ。あとは獄寺くんに「俺も行きたい」と言うだけ。獄寺くんは最初はとんでもないことだと首を横に振ったけれど、俺が何度も言ううちに渋い顔をしながらも頷いた。それから俺はホールの花を気にするようになって、少しでも何か見つけると獄寺くんにあの花屋へ行こうと言った。獄寺くんが「十代目、近頃は花に熱心ですね。何か気になることでも?」と真面目な顔で聞いてくることがあったが、理由なんてなんでもない。ただあの花屋の素朴さを俺が気に入って、たんぽぽを店先でにこにこ見つめる女の子が気になっている、ただそれだけだった。 月日が流れるのはあっという間だ。そろそろ年末が見えてきたある日、リボーンに声をかけられて、何か悪いことでも……と背筋を震わせたが、世間話だった。いや、その世間話というのはリボーンにとってというだけで、俺にとってはとんでもなく衝撃的な話だった。 「随分と花にご執心のようだな」 「あれ、リボーンにまで伝わっちゃってるの? ……いやだなぁ」 「おまえが気に入ったなら屋敷に連れてこい。そろそろおまえも適齢期ってやつに入ってるしな。結婚は早いほうがいいぞ」 「……ん?! 結婚?!」 「オメーが春からずっと花屋に通ってるのは、あのって女の顔を見に行くためだろ。まどろっこしいことはさっさとやめにして、うちへ迎え入れろ。じゃねーと他へ取られるぞ」 「いやいや、ま、待てってリボーン! 俺との関係はそういうのじゃなくってさ!」 自分で言いながら、おかしな話だなと思った。最初はあの花屋の素朴さが気に入っていたはずだが、俺が何より惹かれたのは店先のたんぽぽで――それをにこにこ見つめる彼女こそが、なんの飾り気もない彼女こそが、ちょっと恥ずかしい話、俺だけの可憐なたんぽぽなんじゃないだろうか、なんて思っていたのだから。ここで「そういうんじゃないんだ」と否定するのは、ひどくおかしい。 俺はそれっきり黙ってしまって、するとリボーンは「決まりだな。獄寺に言って迎えに行かせる。見知った顔の方がいいだろう」と言って、ハッとしたときにはもうどこかへ消えていた。 なんてことだ、どうしよう、“ボンゴレ”の“ボス”である俺が「君と一緒にいたい」なんて言ったら、周りの人間は何がなんでもその望みを叶えるだろう。リボーンがそうしようとして――今、こういう状況になっているわけだから。 は困ったような、そしてどこか怯えたような様子で口を開いた。 「あ、あの……」 「あっ、うん、」 「すみません、ご注文の品に、何か問題でもありましたか? それとも何かわたしが粗相を……」 「いや! とんでもないよそんなこと! 違う! そうじゃないんだ! というか、きみなんて言われてここへ連れてこられたの?!」 「ご、獄寺さんには、『十代目がお呼びだ』と、言われました」 「あ、あの人はまた……」 獄寺くんもまた“嫌な”言い方をするんだからなぁ。 俺は今の立場にいることになんの後悔も――と言ったら、多少はうそになるかもしれないけれど――ない。でも、だからといって“ボンゴレ十代目”という肩書きだけで“俺”を見る人間はどうにも苦手だ。嫌いだとまでは言わない。けれど、好きにもなれない。俺は確かにボンゴレの十代目ボスではあるけれど、そのまえになんでもないただの男で、ボスになんてなったのも自然の流れに身を任せてたら……といった感じで、特に目的や目標があるわけでもなかった。もちろん、世界が――少なくとも自分の目の届く範囲は常に平和であってほしいと願っているし、そのための努力を惜しんだことはない。 獄寺くんはいつも俺のことを“十代目”と呼ぶからいつものようにしただけだし、深い意味がないのは分かっている。でもにしたら“ボンゴレ”の“ボス”が屋敷へ来いと言ってる、なんて言われたら逆らえようはずもないし、一体なんだろうと身構えるのも当然だ。 あからさまなまでに「緊張しています」「怖いです」といった様子のに、俺は質のいいデスクチェアから立ち上がってゆっくりと彼女へと近づく。が一歩、後退した。俺は花屋での“俺”を知っているはずのが、こんなにもびくびくするなんてちょっとおかしいな、と思ってくすりと笑った。あの花屋では俺はまるで子どものころに戻ったかのように、あれは何? これは何? とに尋ねては、「十代目が花に興味を持って下さって嬉しいです」なんておかしそうに笑っていたのに。 するとやっと重大な何かではないと感じ取ったらしいが、そっと肩の力を抜いたのが分かった。 「突然呼びつけてごめんね。獄寺くんにそんな風に呼ばれたなら、びっくりしたでしょ」 「あ、はい、正直……。何をしてしまったのかと……気が気じゃありませんでした」 「なんでもないよ。ただ……ただちょっと――」 なんて言い訳をしようかと考えようとしたところで、リボーンの言葉が頭にパッと浮かんだ。 まどろっこしいことはさっさとやめにして、うちへ迎え入れろ。 ――そうしなければ? 「、突然呼びつけられて、突然こんなことを言われるのは本当にびっくりすると思うけど……」 「? はい」 「俺と結婚してほしい」 「……え、け、結婚ですか?」 「うん、とりあえずは婚約って形で。今の時期じゃバタバタしちゃってるし」 「え、あぁ、そうですね、年末も近いですし」 「……それで、どうかな?」 ごくっと喉が鳴った気がした。 は考え込んでいる様子で、じぃっと優しい木目の床を見つめている。 しばらくして――それがどれほどだったかは分からない――は俺の目をまっすぐに見つめて言った。 「わたしでよければ、よろしくお願いします」 はぁっと緊張が解けてため息を吐きたいところだったが、やめにした。 今からに伝えることは重要なことだ。 「後悔しない? 今ならノーと言ってもいい。これはまだ俺ときみと、ふたりだけの話だ。“ボンゴレ”の“ボス”の俺と結婚するってことは、もう元の生活には戻れない。……あの、花屋にだって」 するとはどこか躊躇って、そして意を決したように口を開いた。 「こんなこと、失礼だと思うんですけど……」 「いいよ、なんでも言って。ここには俺ときみ、ふたりっきりだ」 「……うちに顔を見せにきて下さるときの十代目は、とっても楽しそうで……わたし、」 その熱っぽい視線に惹かれるように、俺は続きの言葉を待たずにその唇をふさいでしまった。 「……ねえ」 「なぁに?」 「……これでもう後戻りはできないよ。もう周知の事実になっちゃったんだ」 俺がそう言うと、くすぐったそうに笑ってベッドに沈もうとしていた体を起こして、は真剣な目で俺を射貫いた。決意を秘めた? 覚悟を決めた? なんと表現したらしっくりくるのか分からない。 「わたしがどうしてツっくんとの婚約を決めたのか、忘れちゃったの? あなたがわたしの前では“ボンゴレ”の“ボス”じゃなくなるからよ。……そんなこと言わないで」 そう言うと、柔らかい胸に俺を抱き寄せて、は俺の耳元で囁いた。 「愛してる。他の誰でもない、“沢田綱吉”という人を、愛してる」 そんな言葉をもらってしまったら、俺はこのことを“後悔”として振り返ることはできない。 あとほんの少しで新年だ。そうしたら俺も言おう。 「愛してる。他の誰でもない、そのままのきみを」 |
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