箱庭で末論


 箱にでも閉じ込めておけるというのなら、俺は迷わずそうすることだろう。そしてそれをどこへでも持っていって、ずぅっと離さない。誰にも見せずに、誰にも触れさせずに、ずぅっと俺だけの宝物として大事に大事にするのだ。

 「及川ってのことどう思ってんの?」
 「どうって?」

 マッキーは特別何かを思って言ったわけじゃない。そういう顔をして言ったけれど、俺にはそれがどういうことなのか分かっている。それに、俺とマッキーが二人っきりで部室に残っているなんてのがそもそもおかしいのだ。

 同じクラス、隣の席、俺との繋がり。どれを取ってみても、こうして探られるには充分な理由だ。けれど俺には分かる。俺とおんなじ目をしているヤツが、「どう思ってんの?」その言葉、そのまま返してやりたい。俺がをどう思ってるかなんてこと、きっとマッキーにしか分かんないのにね。そうやって。

 「かわいいじゃん、。幼馴染だから、もうそういう対象には見れないとかあんの?」
 「そういうって?」
 「付き合いたいとか、そういう」
 「今更だなぁ」

 生まれたときからずっと一緒だ。一緒に成長してきた。の手を引いて、ここまで歩いてきた。今更、それがどうにかなるなんて思ったことはない。俺とが一緒にいることは当たり前のことだ。息をするのと同じだ。いつの間にか歩けるようになっていたように、いつの間にか言葉を扱えるようになったように。生きていくうえで必要なことは、整えられた環境で当たり前になっていく。今更だ。俺とが一緒にいることは当たり前で、今更なのだ。だから誰であっても俺たちの関係に割り込むことはできない。もう完成しているのだ。俺もも、俺たちを取り巻くものすべても。その枠を越えようっていうズレた人間は男でも女でも、過去にいくらでもいた。でも結局それを成せたヤツなんていない。だから完成しているのだ。俺も、も。

 だから今更と思っていたけれど、ここへきて俺とおんなじ目をしたヤツが現れた。
かわいそうにね。

 「ふぅん。じゃあ俺がと付き合ってもいいんだネ」

 まるでそうなるのが当然というような口ぶりだったので、俺は本当に心の底から笑ってやりたくなった。誰が誰と付き合うって?

 「え? あはは、やだなぁ、マッキーってばのこと好きなの?」

 誰に聞かれても困らない調子で、俺は言った。愛想のいい笑顔を浮かべている自信もある。
 そういえば、他人からのことが好きだと言われたのは久しぶりだ。俺にそんなことを言うヤツ、もう誰もいない。そう考えると、かわいそうだなぁという以外に、面白いな、と思った。
 のことを好きだなんて言うヤツ、今更どこを探したっていやしない。俺がずっとそばにいるのだ。
俺が何をせずとも、みんな何も言わない。考える分には勝手だけれど。
 ふふふ、と俺が笑い声を零すと、マッキーはなんの感情も受け取れない声音で言った。

 「好きだよ。も俺のコト好きだってさ」
 「へえ。それはちょっとびっくりだ」

 驚いたのは嘘じゃない。俺はからそんな話を聞いた覚えがないし、岩ちゃんとの様子からして二人がコソコソしているわけでもないだろう。俺は素直に感心して、素直に驚いた。へえ、面白いね、と。もちろんそうとは言わないし、本当に「驚きました」なんて顔をしやしないけれど。

 愛想笑いを続ける俺に対して、マッキーはやっぱり特別何か思ってるわけじゃない。そういう顔で、「だろうね。俺が及川には言うなって言ったから」と言ってスマホを弄りだした。口元が少し、ほんの少しだけ緩やかに歪んでいる。

 「何それ、ヒドイなぁ。え、じゃあ付き合ってんの? マッキーとが?」

 俺がそう言うと、ちらっと視線だけをこちらに寄こして、薄っすらと笑った。

 「だと思う?」

 ここで正直な本音を素直に言ったら、どんな顔するだろう。そう思ったけれど、今更だ。
 置かれた環境に人は適応していく。俺はその環境を整えることに手抜きは一切してこなかったし、今でも手入れは念入りに行っている。こちらへ飛び込んでこれるような足掛かりになるものはない。
 でも本当にそうだろうか、とも思うのだ。舌の裏を撫でられているような、今にも吐き出したい気分だなんて今まで一度だって経験したことがないのだから。

 「そりゃあね。だって、マッキーのこと好きなんでしょ?」

 カバンを引っ掴んで引き寄せて、中からスマホを取り出す。通知が一件ある。からだ。内容を確認しようかと思ったけれど、ロック画面に映る“相談したいことがあるの”、という書き出しからして予想できたのでやめにした。

 マッキーは俺の言葉に、「そうなんだけど、付き合ってない」と言った。
それでも、何とも言いがたい気色悪さは抜けない。俺は笑った。

 「この場合、マッキーが悪い男? が悪女?」

 おどけてみせると、マッキーは「それがさァ」なんてちっとも困っちゃいない様子で肩を竦めた。


 「花巻くんのことは好きだけど、徹くんなんて言うかな? だってサ」


 そわそわしながら俺の言葉を待つの姿が思い浮かぶ。
 いつも俺に手を引かれて、俺の言うことを素直に受け入れて、なんでも俺に話した。
何をするにも、まず初めに俺に問うのだ。徹くん、どうしたらいい? と。

 俺はにずぅっと手を引いてやると言ってきたし、俺はお前にだけは嘘を吐かないと言ってそばから離さなかった。の話ならどんなくだらないことでも、何度でも聞いた。そしてなんでも俺に話してね、俺はお前の味方だよ、とどんな話でも引き出した。そうするうちに、はそういうものなのだと思って、俺の用意した箱庭で成長してきたのだ。俺の手を離れてできることなんてない。そもそも、俺から離れようだなんて思ったことすらないだろう。そういう風に、俺たちは成長したのだ。

 環境に適応するには、それ相応の時間が、準備が、手間があるのだ。それを今からさぁ用意しようとしたところで、変化に追いつけないものは死ぬ。そういう風にできた体は、そういう風にしか生きられない。

 ブルルっとベンチの上で震えたので、放っておいたスマホに手を伸ばすとまた新しい通知が入っていた。ほんと、かわいそうにね。

 「アラァ、それはごめん。俺がなんでも相談しろってずっと言ってきたからかも」
 「それで? のコトどう思ってんの?」

 マッキーがスマホを制服のズボンへするっと入れ込んだのを見て、俺は通知画面からメッセージを表示した。

 「どうも思ってないよ。ただ、俺とはずっと一緒にいるだけ。羨ましい〜?」

 “相談したいことがあるの。徹くんの部屋で待ってるから、聞いて”
 “徹くん、いつ帰ってくる? 今日、遅いの?”

 なんて返そうかな、とそちらへ意識が向きかけたのを、「全然」という妙にハッキリした声が止めた。肌が泡立ったような感覚がして、俺はなんだか笑ってしまいそうだった。ベンチにスマホを置く。
本当に面白いことになったなぁ。

 ここで初めて、視線が合った。

 「お前らおもしろい関係だね、ホント。別にいいケド」
 「どういう意味?」
 「どういうって? 俺は及川とが幼馴染って知ってるから、別にそれでいいよってだけ」
 「幼馴染なことは変えられないからねえ」

 変えられない。水槽を、水を変えてしまったら、変化に追いつけないものは死んでいく。
長い時間をかけて適応して、そうして成長してきたものは。
 でも、無理に移し替えて――変えていこうっていうのなら、やるだけやってみればいい。

 「ただ、これまでと同じようにはいかないと思うから、そのつもりで」
 「俺は別に何もしないよ」

 環境が変わってしまって息ができないとなれば、死んでしまう。
でも、は知っているのだ。困ったときにどうすればいいのか、知っている。
環境が変わるまえに、は俺に言うのだ。徹くん、どうしたらいい? と。
 親の勧める県外の女子高を受験するとなったときも、は俺に言った。
いざ合格して喜ぶ両親を見て、それでも俺から離れるのが怖いは、俺に言った。
そういう風に成長してきて、この先の変化はない。

 「そんな大事? のコト」

 不思議な質問だ。酸素がなくては息はできない。
呼吸できなければ死ぬ。それだけだ。だから、大事にしまっておきたいのだ。
おんなじ目をしてるくせに、わざわざ聞くんだからしょうがない。

 「そりゃあ大事な幼馴染だし、女の子だからねえ」
 「俺に任せてくれていいんだケド? そのかわいい女の子」
 「俺はもちろんマッキーなら大歓迎だよ」
 「へえ?」

 マッキーの目の色が変わった瞬間、俺のスマホがまたベンチの上でブルブル震えた。
画面が白く光って、着信を知らせている。

 「でも、がなんて言うかな」
 「さぁ? 、俺のコト好きだし、約束守ってくれてたみたいだしネ。なんて言うと思う?」

 早く出てやらないと、家に帰ったとき、心配したって泣くかもしれない。もう子供じゃあないのに。

 「徹くん、どうしたらいい? って言うよ」

 画面をタップすると、今にも泣き出しそうな声でが俺の名前を呼んだ。
どこにいるの? いつ帰ってくるの? と矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

 「……自信満々だな」
 「幼馴染だしねえ」
 「幼馴染だもんネ。及川はそのままでいてよ」

 「うん、もちろん。マッキーに言われるまでもないよ」

 ハイハイ、ごめんねえ、今から帰るから泣かないで。
俺が電話越しににそう返事をすると、マッキーはべっと舌を出して部室を出ていった。
 のことが好きなら、そのが待ってる俺の代わりに鍵閉めてってよね。
できることって、精々そのくらいだと思うからさ。

 俺もべっと舌を出したいところだけれど、不快感がぐずぐずとその舌を這っている。
耳元できゃあきゃあ囀るかわいい声に、いつも通りの優しい返事をしてやらなくてはいけないのに。

 「……大丈夫だよ、すぐ帰る。――大丈夫だって、俺が決めてあげるから」

 安心したような溜息を聞いて、やっぱり箱にでもしまっておけたらいいのにな、と一瞬思った。でも、そんな非現実的なことを考えたところで、それだけだ。考えるだけ。もし箱が目の前にあったら、一度はそこへを入れてみるかもしれない。けれど、わざわざそんなことしなくったっていいってこと、もう知っている。

 俺とが先に出会ってしまったこと――幼馴染であることから、もう全部決まっていた。
俺が俺で、だから、そういう環境になってそういう体になって、そういう風に成長したのだ。
 俺は、そういう風に成長しきってしまった。

 誰もいなくなった部室に向かって今度こそべっと舌を出すと、俺はドアに鍵をかけた。