心も身体も成長して、俺は大人になった気でいた。でもどうだろう。君を前にするとまるで非力な少年で、頭の中は常にこんがらがってシンバルか何かがガンガン響いてる。その魔性はいっそ悪魔にでも憑かれているようだ。俺の何もかもを見透かされているんじゃないかとさえ思ってしまえば、俺はあとはもうただの道化でしかない。彼女の思い通りにくるくる回って笑わせるだけ。でもそれでもいい。君が、笑ってくれるなら。 それがたとえ嘲笑であったとしても、俺は構わない。俺を必要としてくれるなら。 「」 「あら、珍しいね、こんな時間に綱吉くんが出歩いてるの」 「……そうかな。……君に、会いたくて。探してたんだ。会えてよかった」 「それじゃあなんだか、わたしのせいみたい」 いやぁね、こんな夜更けに善良なマフィアのボスを呼び付けたりしないのに。 はそう言ってからかうように笑った。俺も笑ってみせたけど、果してうまくできたかどうか。 公園にはもちろん誰もいなくて、俺は変に緊張していた。彼女と二人きりになることはこれまでにも何回かあったけれど、こんな空間では一度もない。墨を零したような真っ暗闇の中で、外灯がぼんやりと青白く光っている。その下に立つ彼女は妖艶でいて、どこかしら不気味だった。 はどこにでもいそうな女性で、でもどこにもいない。そう、ここにも。 俺の前に今まさに立っている彼女すら、本当の彼女かどうか分からない。 確かめる術もない。 あんな怪しげな女はやめておけ。リボーンが言った。 彼女について念の為詳しい調査を行いましたが、何も出てきませんでした。 十代目、このことがどういった意味かお分かりですよね。獄寺君も言った。 あの女は我々のような、ならず者ですらどうこう出来るようなモノではありませんよ。 貴方にも分別というものがあるならおやめなさい。骸まで言った。 でも俺は、彼女のその妖しげな魅力に惹かれていたので聞く耳など持たない。 彼女が俺のものだったら、どんなにいいだろう。そうしたら、会えるかも分からないバーで何時間も待ちぼうけしなくて済む。いいや、それどころか俺だけが知ってる秘密の部屋に閉じ込めてしまったっていい。でも、どうしたってそんなことにはならない。 にはいつも男の影がちらついている。どんな男かまでは分からない。けど、が傍についてやるような男だ。俺なんかとは比べ物にならないできた男だろう。ああ、冷たい夜風までもが憎らしい。 「今日はどうしてまたこんな寂びれた公園に?」 黙っていては嫌な妄想ばかりが膨らんでしまう。 俺はなんでもないように笑顔を作ってみせた。彼女もにこりと笑う。 「人と会う約束をしてたの」 「へえ、珍しいね」 「そうでもないわ。だって一方的な約束だもの。わたしが勝手にここにくれば会えるって思ってただけ」 「ふうん、羨ましい限りだ。君にそんな風に思われるなんて、男冥利に尽きるじゃないか」 「ふふふ、それならよかった。でも、そんなこと言ってくれるのって綱吉くんくらいなものよ。ほら、貴方のところのオッドアイの人、ひどいわよね、わたしのことお化けか何かみたいに思ってるでしょう。不気味だなんてレディに対してひどいと思わない?」 どきりとした。彼女の目は、やはり見透かしているようだった。 「そう、だね。、君、骸と会ったことがあるの?」 「ああ、たまたまね、出先で。ふぅん、むくろくんていうんだ。自分の方がよっぽどヒトじゃないみたいよね」 くすりとは笑った。外灯に集まっていた蛾が、何やら騒ぎ始めた。 「ねえ、綱吉くんはどうしてこんな寂びれた公園に?」 もう答えは知ってるけど、そんな顔つきだった。 「君に、会いたかったからって、言ったよ」 満足そうに頷いて、は煙草を吸い始めた。 真っ赤な爪は獲物を探しているように鈍く光沢を放っている。 「約束もしてないのに、綱吉くんて勘鋭いほうなのかな?」 「……そうかもね」 「隠さなくていいのに。なんだっけ、“超直感”? なんかボンゴレのボスってそういう力あるって聞いたことあるよ」 「……随分こちらの事情に詳しいんだね。俺、マフィアだなんて言ったけ? それもボンゴレって」 「言わなくても分かるよ、この辺で日本人なんて珍しいもの。そういえばファミリーの幹部も日本人ばかりなんですってね」 爪と揃いの真っ赤なルージュが、次々と言葉を紡いでいく。内容はどうでもよかった。 ただ、その唇から発せられる音の全てを大事に拾い集めたかった。 「そういう君は? こちら側の人間なのかな?」 「ええ? わたしがマフィアに見える?」 「そうだと言われればそうだと思うし、そうじゃないと言われればそうじゃないと思うよ」 「超直感を前に嘘なんか吐けないよ。わたし、こう見えて一般人よ。仕事柄そういう人達を知らないわけじゃないけどね」 「そういえば、仕事は何してるの? 初めて会った時は、バーで働いてたね」 「違うわ、あれは知り合いに頼まれてお手伝いしてただけよ。仕事は別。それにほら、わたしみたいな女って接客なんて向いてないじゃない」 が吐き出した紫煙はゆるゆると上空へ向かっていく。 分散して、薄くなって、消えていく。 知っていると思っていた彼女の姿が、また一つ消えていく。 「じゃあ、仕事は何を?」 「それってそんなに大事?」 一瞬、黙ってしまった。 「……そうだね、大事じゃないさ、君が何をしてるかなんて。大事なのは、」 ――君が、誰かってこと。ただ、それだけだ。 あはは、乾いた笑いは思いの外大きく響いた。は笑った。 あはは、おかしいこと言うね、綱吉くん。 これ以上踏み込んだら駄目だ、彼女のことを綺麗なまま残しておきたいなら。そう頭のどこかで俺の何かが警告する。でも俺はそれを笑い飛ばすのだ。彼女の正体などなんだっていいのだ。そう、たとえば人間じゃなくたって。大事なのは、彼女が誰なのかだ。俺に見せたどの顔が、俺以外の人間に見せたどの顔が、彼女の本当なのか。それさえ知ることができたら、俺はきっと満足できるはずだ。俺以外の男の影がちらついたとして、その男だって彼女の本当を知っているかどうか。その中で俺だけが“”を知っている。そういう自分勝手な至福を一人味わうために、知りたい。彼女の全てを。 「そうだなぁ、わたし仕事柄いろんな自分がいるから、自分でもうっかりどれが本当か分からなくなる時があるの」 煙草からぱっと手を放して地面へ放ると、高いヒールで火種を踏みつけた。 「だから、ね、」 つ、と彼女が俺に近寄ってくる。整った顔に浮かぶ含み笑いに、俺も笑った。 どこかで、分かっていたんだけどな。 細い腕が、俺の首に回る。あの赤い唇が、俺の耳元に寄せられた。 「だから、綱吉くんに見つけて欲しいな。本当の、わたし」 そう言って俺のポケットに名刺を入れて、は夜の闇へ消えていった。 ああ、俺はヒトじゃないものよりずっと厄介な人間に、恋をしてしまったようだ。 |