「菅原くん」

 彼女にそうやって声をかけられると、なんだかむずむずする。
こう、なんていうか……背中を撫でられてるみたいな気持ちがするのだ。

 「うん? どうかした?」
 そして俺は、それが嫌いじゃない。

 俺とさんの共通点といえば、同じクラスということに限る。他には何も。俺にとっては、“俺をなんとも言えない気持ちにさせる”クラスメイトだけど、彼女のほうからすれば“特別関わりがあるわけじゃない”クラスメイトってとこだろう。本当のことなのでどうしようもない。

 でも俺は近頃、彼女の“仲の良い”クラスメイトになりたいと思っている。

 「あの……バ、バレー部、だったよね?」
 「え、あぁ、そうだけど……」

 彼女はものすごく躊躇って、ものすごく申し訳なさそうに言った。

 「あの、これから部活だよね?」
 「うん。どした?」
 「あの、きよちゃん……バレー部のマネージャーさんに伝言お願いしたいの」
 「清水のこと?」

 こんなにさんと話したの、初めてだなぁ。

 「そう。わたしが自分で伝えるべきなんだけど……委員会の用事、できちゃって、すぐ行かなくちゃいけないの」

 それで……あの、というさんの声を聞きながら、心の中でガッツポーズ。

 「いいよ、そんくらい。しょうがないべ、委員会なら。早く行きな」

 すると彼女はぱぁっと嬉しそうな笑顔を浮かべて、伝言内容を言ったかと思えば、「ありがとう菅原くん!」と走り去っていった。

 やばい。とんでもないミサイル撃ち込まれた。


 「あ、清水」
 「何?」
 「うちのクラスのさんから、伝言頼まれたんだけど」
 「……なんて?」
 「『ごめん。委員会、時間かかりそうだから先に帰ってて』だって」
 「……そう」

 清水は何か考える風に少し黙った後、分かった、とだけ言った。それから俺の顔をじっと見て、「菅原」と言うから、俺も「んー?」と返すと、 「のこと、送ってあげてくれない?」ときた。

 「はっ?!」

 俺があんまり大きい声を出したので、「どうしたー?」と大地の声が飛んできた。
なんでもない! となんとか返す。

 「え、どういうこと」
 「の家の近く、暗いから。私は……先に帰るから」
 「いや……」
 「……嫌ならいいけど」
 「いや! 違う! 送りたいっ!」

 体育館がちょっとシンとしたけど、それどころじゃなかった。
 清水今なんて言った? というより、俺今なんて言った?

 「じゃあ、頼んだから。教室まで迎えにいってあげて」

 ちょっと待てどういうこと? と聞けるだけの容量は頭になかった。さんのことで、頭はいっぱいだった。俺がさんを送る? ……俺が、さんを?

 かあっと一瞬で顔が熱くなって、今度はどうしようということで頭がいっぱいだった。どうしよう、俺がさんを送るなんて、どうしよう。いや、やましい気持ちなんてちょっともない。清水帰っちゃうし、通学路暗いらしいし、さんはかわいいし女の子だし、俺は男だし……。そうだ、送ってあげるべきだよな。当たり前のことだし、今回はそういう、なんか色んな要素があって、あれだから……。あぁ、どうしよう。やましい気持ちはちょっともないなんて嘘だ。

 関係が進展するかも、なんて思ってる。


 俺はずっとそわそわしてしまって、大地に「スガ、どうした? 今日なんかおかしいぞ」と言われてハッとすることを何度か繰り返すうち一年にまで心配されて、頭の中がおかしくなりそうだった。
 部活が終わるとやっぱりみんなに心配されて、でももうさんのことしか頭にない俺は、とにかく早く教室に向かいたかった。俺が清水に頼まれたことをさんは知らないし、もしかしたら一人で帰ってしまうかもしれない。
 俺は何度も大丈夫だから! を繰り返すと、誰よりも先に着替えに走った。


 全力疾走で教室に向かって、着いた! と思ったら勢いよく扉に手をかけた。すると俺がそれをスライドさせるよりも早く中から扉が引かれて、そのままそこへ突っ込みそうになるのをなんとか踏ん張る。

 「えっ」
 「あっ!」

 目を大きく見開いたさんは、俺の顔を確認するとぎょっとした。

 「す、菅原くん……な、なんで……」
 「俺はほら、部活」
 「あ……そっか、お疲れさま」
 「うん、ありがと」

 それからそのままでいて、お互い無言だった。

 「あっ、校門、閉まっちゃう! 帰らなきゃ……あの、ま、また明日ね」
 「あ、うん」

 じゃない! 俺の前をすり抜けようとするさんの腕を引いた。彼女の態勢を崩してしまって、あ! と思うより先に、その体は俺の胸に飛び込んできた。俺達はまた無言になった。
 先に口を開いたのはさんだった。ぱっと俺の体から離れて後ずさると、顔を真っ赤にして「ご、ごめんなさい! あのっ、あのっ……か、帰るね! ごめんなさい!」と言って教室の中へ戻ったかと思うと、教室の前のほうの扉――俺達のやり取りは後ろのほうで行われた――へと走っていく。 まずい! と思って、「ちょっと待ってさん!」と声をかけるも、彼女はそのまま廊下へ飛び出した。急いで後を追う。が、さん、意外と足が速い。

 「待ってって!」

 また腕を――今度は掴むと、さんは俯いてしまった。
どんな表情をしているんだろう。
 なんて切り出そうかな、と思いつつ口を開く。すると言葉は案外簡単に出てきた。

 「……驚かせてごめん。俺、清水に頼まれてさ」

 さんはゆっくり顔を上げると、首を傾げた。きょとんとしている。

 「きよちゃん? ……えっと、何を?」
 「さんのこと、家まで送ってって」
 「えっ?!」
 「だから、一緒に帰るべ。この時間じゃ、女の子一人で帰すの……俺も心配だし」

 声が震えそうなのをぐっと堪えて、俺は笑顔まで浮かべながらそう言い切った。
言葉はするする出てきたけれど、だからってそれは“何もかもオーケー”ということではない。

 「で、でも、他の委員会の子達と帰れるし……」

 えっ、それは聞いてない。
でも、こんなありがたいチャンス二度はないだろう。

 「……方向は?」
 「……い、一緒……」
 「じゃないべ」
 「えっ」
 「顔に書いてある」

 うそっ! と彼女が言ったので、俺はほっとする。ハズレじゃなくてよかった。

 「通学路、暗いんだべ? 送るよ」
 「で、でも……菅原くん、疲れてるでしょ……?」
 「女の子一人送るのくらい、どうってことないよ。心配しないでいいって」

 じゃあ……というさんの言葉は続くだろうに、俺は最後まで聞かなかった。
 そこで、捕まえたまんまだった細い腕のことを思い出して、不自然にならないよう静かに放した。


 「……菅原くん。あの、本当にごめんね」
 「だからいいって。そんな気にすることじゃないってば。っていうか俺もこっちの方向だしさ。大丈夫大丈夫。ついでってコトでさ」
 「そうなの?」

 まぁウソなんだけど。ここで正直に「真反対だよ」なんて言ったら、既に何度目か分からないのにまた謝罪の言葉を口にするのが目に見えている。

 「あの、菅原くんは……その、仲良いわけじゃないのに、その……」

 本人から言われると案外傷つくもんだなぁと思いながら、「うん」と短く返事した。

 「お、送ってくれたりして、ほんとに、ほんとにありがとう」
 「俺もこっちだからいいの。一緒に帰ってんだけじゃん」

 さんはやっと安心したように小さく笑って、もう一度ありがとうと言ってくれた。やっぱ、かわいいなあ。どうしようどうしようって頭ん中パニック起こすくらいかわいい。
 ……マジで、パニック、起こしそう。

 「あの……すがわらくん」

 どきっとするくらい、柔らかい声だ。いよいよパニック。

 「う、ん」
 「あの……」
 「……うん」
 「……こ、今度、お礼、させてくれる?」
 「えっ!」

 びくっとさんの肩がはねたので、ごめんと一言謝ると、それで……と俺は話を続けた。

 「お礼、なんて別に、気にしなくていいよ。俺が、好きでやってるだけだしさ」
 「でも、わたしがお礼、したいの。好きでやりたいの。だ、だめかな……」

 好きで、というところで、俺の心臓にまたミサイルが撃ち込まれる。それも超ド級の。あぁ、あぁ、どうすんべマジで、めっちゃかわいい。こんなの聞いてないぞ、清水。でも、こんなチャンスをくれてありがとうと言う以外、この状況において他にない。田中や西谷じゃないけど、清水って女神かよ、と俺は結構真面目に考えてしまいそうになって笑った。

 俺はもう一つ、ウソをついてたみたいだ。“仲の良いクラスメイト”なんかじゃイヤだ。


 さんの、彼氏に、なりたい。




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