毎日のハードな練習を苦に思ったことなど一度もないのは、バスケが好きなことはもちろんだがやはり藤真という存在が大きかった。抜群のセンスと、コートを支配する頭脳とリーダーシップ。俺だけじゃない、翔陽バスケ部の誰もが全信頼を藤真に置いている。ヤツは確かな信頼を勝ち得るだけのプレイヤーであるし、それと同時に精神的主柱となりえるだけの監督だ。 だから俺は、こんな藤真を信じたくはない。 「はあ、なんでせっかくのオフに花形とマッグで飯食わなきゃなんねーんだよ……」 「(それはこっちの台詞だ)……そうか、悪かったな」 そうだ、今日はせっかくのオフだ。前述した通り、俺達は毎日厳しいメニューの練習をこなしている。そんな中での希少なオフだ。その希少なオフになぜ俺はお前に呼び出されて、その上に文句を言われなければならないんだろうか。 そう言い返してやりたいのは山々だが、口では元気なものの目に見えて落ち込んでいる藤真にそれを言うのは少しばかり酷な気がする。 県ナンバー2の座を欲しいままにしている藤真は、そのプレーに加えて甘いマスクで校内外で人気を博している翔陽代表のスターだ。その藤真を落ち込ませることができるものといえば、バスケに関することと目下片想い中の女の子のことだけなのだが、昨日の練習の様子じゃバスケのことではないだろうし、もしそうだったなら今日も練習漬けだったはずだ。 つまり、藤真がこうもどんよりしているのは片想い中の女の子――ちゃんが原因で間違いない。 しかしこのところ、藤真から彼女の話は聞いていなかったが……どうしたというのだろうか。……また練習練習でちっとも会えない、とかそういう理由で俺を呼び出したんなら今すぐ帰る。 はあ、と俺が溜息を吐くのと同時に藤真も溜息を吐いた。そしてつまらなそうにコーラのストローを噛むと、なあ花形、とぽつり口を開いた。 「なんかさあ、最近、がオレにやけに冷たいんだよ……。今日だって練習ないからどっか行こうぜってメールしたのに、先約あるからムリとか言ってよー。前も同じ理由で断ったんだぜ? アイツ。冷たくね?」 「……そうか。でも先約があったんなら仕方ないだろう。次からはもっと前もって連絡したらどうだ?」 なるほど、それが理由か。しかし相手は俺達の3つ下の中学生で、今年は受験生なのだ。その先約というのも、もしかしたら友達と一緒に勉強会だとかかもしれない。 そうだ、この辺りで藤真の片想いの相手であるちゃんに関して述べておこう。彼女は今記したように、今年受験の富ケ丘中の3年だ。藤真が彼女を好きになったのは一目惚れというから驚きだが、それも納得せざるをえない可愛い子である。思えば、その時から藤真はなんだかおかしくなった。相手校はもう忘れてしまったが(その時の藤真のインパクトが凄すぎて)、あれはうちでの練習試合の時だった。後に聞いた話では、ちゃんはうちに通う知り合いのツテで試合を見に来ていたらしい。そこでちゃんを見た藤真が一目惚れして、まぁ半ば無理矢理に連絡先を交換。その後(一方的に)藤真がアタックし続け、早1年になるわけだが……。 あの時に戻れるなら、俺はちゃんにただ一言「逃げろ」と言ってやりたい。 自分が所属する部のキャプテン兼監督をこんな風に言うのも非常に気が引けるが、藤真に惚れられたちゃんが不憫でならないのだ。 藤真は確かにうちのエースだし頭もいい、校内外問わずファンを抱えるだけあって容姿も整っている。それでもだ。藤真のちゃんに対する不気味なほどの執着心を見ていると、応援してやる気にはなれない。もう何がなんでもちゃんには逃げ切って欲しいとすら思う。だがちゃんにこっぴどくフラれた日には、こうして俺や他の部員達にまで迷惑をかけるので一口に「逃げろ」とだけは言えない。藤真を傷つけないように、それとなく突き放してくれ。……こんなこと簡単にできやしないし、そもそもこんなことを思っているなんて藤真に知られたら地獄だ。 ちら、と藤真を見ると、外をぼんやり見つめながら、やはりつまらなそうにストローを噛んでいた。しかし次の瞬間、何かに気づいたように急にがたんと大きな音を立ててイスから立ち上がった。 「?! ど、どうした藤真、急に立ち上がったりして……」 ばくばくとうるさい心臓を落ち着かせながら声をかけると、ファンが見たら卒倒しそうなほど美しい切なげな顔で溜息を一つ。そしてそのアンニュイな表情のまま、ぽつりと呟いた。 「……、」 「は?」 「に会いてー」 「はぁ?」 何言ってんだこいつ。 そう思わずにはいられなかった。 「外見てみろよ、花形。女の子がいっぱいだ」 外を歩く女の子達が藤真の視線に気づいたようで、何やらはしゃいでいる。 「……そうだな」 ほんとにこいつは何を言っているんだろう。休日だし、女の子のみならず人が多いのは当然じゃないだろうか。そう、そもそも休日なんだ今日は。何故お前は俺を休ませようとしないんだ、藤真。 もう俺はどうでもよくなってきた。藤真が落ち込んでいるのも、その原因も、ちゃんのことも。 藤真が落ち込むのは藤真の勝手だし、その原因が女の子にフラれたことだなんて本当に俺にはどうでもいい話じゃないか。わざわざ貴重な休みを潰してまで藤真に付き合ってやる理由にはならない。 それにちゃんだが、確かに彼女には同情する点が数えきれないほどある。1年もこのうっとうしいのに付きまとわれていることだとか、受験生なのにも関わらずしつこいのに付きまとわれていることだとか、そもそもこのうっとうしい上にしつこいのに惚れられてしまったことだとか。でもその問題のちゃんは、今この場にいないのだ。そりゃあ目の前にいたら助けてやろうと思いもするが、今はいないのだ。どうでもいい。よって今この場で俺の貴重なオフより大事なものは一切存在しないというわけだ。……帰るか。 そう思ったところで、藤真がまた意味の分からんことを呟く。 「こんなにたくさんの女の子がいるのに……、……オレのがいちばんだ」 もうほんとそういうのは一人でやってればいいんじゃないか? と言うのは簡単だが、これで妙に突っかかられては帰るに帰れない。ここは適当に藤真の話に乗ってやって、機嫌がよくなったところでさっさと帰ろう。 俺はそう思って、ここからは藤真に都合のいいように話を合わせてやることにした。 「そうだな」 「なんだと! お前のことヤラシー目で見んじゃねークソ花形!!」 「見てない! (お前じゃあるまいし!)」 前言撤回だ。こっちはお前に話を合わせてやろうと努力(しようと)してたところだっていうのに、どういう神経してるんだ。やらしい目ってどういうことだ、お前にだけは死んでも言われたくない。毎回毎回、メールのやりとりだけでヘンな妄想膨らませてるお前にだけはな! もういい加減にしろよ藤真、俺は帰る! 言うだけ言って帰ろうとしたが、さっきまでの勢いがすっかり失せて「……はあ、に会いたい……」なんてまたどんよりする藤真になんだか毒気を抜かれてしまった俺は、結局「……そうか」と言って溜息を吐いた。もうこの際だ、なんなんだコイツもう面倒くさい……だとか、たまの休みにお前に無理矢理連れ出された俺の立場ってなんなんだ……とかそういうことはもういい。今日は最後まで付き合ってやろう。 なんだかんだ言って、コイツにもかわいいところはあるのだ。あれだけバカみたいにモテる中で、ちゃんじゃなくたって可愛い子はいるだろう。それでも、彼女がいくら藤真を邪険に扱ったところで藤真は他に見向きもしない。見た目に華があるだけあって「実は遊んでる」だとか陰口を叩かれることもたまにはある藤真だが、そんなものは本当に根も葉もない噂でコイツはちゃん一筋なのだ。……まあ、その一途さが行き過ぎていてちょっと……なんだ、その、彼女本人には敬遠されてるが。 でも時たま、俺も思うことがある。ちゃんを前に暴走する藤真はもういいとして、こうして彼女のことで一喜一憂する姿をちゃん本人が見たとしたら……まだ可能性はあるんじゃないかと。誰だって、好かれて本当に嫌だという人はいないだろう(たぶん)。 そう思い始めたら途端に藤真のことが一途でしおらしい好青年にまで見えてきた俺は、気分転換に外を歩こうと藤真をマッグから連れ出した。これが誤算だった。そもそもあの藤真が(方向性は間違っているが)、一途はともかくしおらしいなんてことあるはずもないというのに。 事件はマッグを出てものの数分後、大きな池のある森林公園で起こった。 「なっ……なんでテメーがオレのと一緒にいんだ流川ァアアアアァ!!!!」 ちゃんがいたのだ。あろうことか、あのスーパールーキー流川楓と共に。 もちろんそれを黙って見過ごす藤真ではない。 休日のよく晴れた昼下がり、子供連れの家族やご老人も多い中で恥も外聞もなく藤真は流川に食ってかかった。俺が恥ずかしい。藤真はすっかり頭にきていてぎゃんぎゃん怒鳴り散らしているが、怒鳴り散らされている当人の流川は涼しい顔をしている。……これは勝ち目ないぞ、藤真。流川の方が(いろいろな意味で)完全にクールだ。 藤真もモテるが、流川もよくモテると聞く。注目株の湘北のスーパールーキーで、その上イケメン。藤真と互角と言ってやりたいところだが……藤真の暴走加減と肝心のちゃんの反応を見てみると――――負けとしか言いようがない。 ちゃんも藤真の気持ちはよく(本当によく)分かっているとは思うが、この場合は藤真は何を言われても言い返せるような立場ではない。ちゃんが怒るのは当然だ。 「わたし藤真さんのじゃありません! 流川せんぱいっ、行きましょう!!」 「ん、」 ちゃんは流川の手を引いて、さっさと歩き出した。手を引かれている流川は、満更でもなさそうだ。……これは、もしかしなくとも……。藤真お前、冗談に抜きにもう無理みたいだぞ。ちゃんは流川に惚れてると言ってよさそうだし、流川も受け入れている。……「押してダメなら引いてみろ」っていうアドバイスも、案外嘘ではなかったのかもな。お前みたいにガンガン押してればうまくいくってわけでもないようだぞ。というわけだからもう諦めろ、そして帰ろう。 俺がそう言う暇もなく、やはりというか当然のごとく藤真は流川に突っかかった。俺を巻き込んで。 「おっ、オレでさえまだ手ぇ繋いだことねーのに……! おい何ボサっとしてんだ花形! 引き離せ!!」 「そんなこと俺にやらせるな!」 こいつほんとに一度くらい引いてみるってできないのか……イノシシじゃないんだから、もう少し冷静に状況を把握しろ……。というかどうして俺を無理矢理にねじ込もうとする。お前みたいなヤツの恋ですら邪魔しなかったんだ。正統派の恋愛をしている二人の邪魔なんてしたくない。 「もー! せっかく流川せんぱいと一緒なのに! 藤真さん邪魔しないでっ! 花形さんもちゃんと手綱握っといて下さいよ!」 「わ、悪い…」 ……でもやっぱり、藤真の恋は邪魔してやるべきだったな……ちゃんのために……。 彼女に怒鳴られてほんの少し落ち込む俺をよそに、藤真の暴走は止まることを知らない。 「なんでそんな冷たいこと言うんだよ! お前を好きな男だぞ?! もっと優しくしてくれたっていーだろ!」 ……いくらなんでも無茶な理屈だそれは……。 だが流石いつもこの無茶苦茶な男の相手をしてやっているだけあって、ちゃんの切り返しは実に鋭いものだった。 「やです。大体中学生追っかけてて恥ずかしくないんですか藤真さん! ろりこんですかあなた!」 「(き、きつい……)ふ、藤真、今日はもう……」 帰ろう。もう、帰ろう。お前はよくやった。……あ、いや、よくやったというより、よく“やってしまった”だろうか。 ちゃんは相当怒っている様子だ。それもそうだろう……(おそらく)好きな人と(たぶん)デートって時に、何が悲しくて藤真なんかに邪魔されなくちゃならないのか……でもロリコンはないだろうロリコンは。 しかし流川はちゃんの1学年しか違わないし、よくよく考えてみれば流川も富中出身だったはずだ。わざわざ友達のツテを使ってまで、他校の試合を研究するほどバスケ好きな彼女。……ひょっとして随分と前から流川とは親しかったんじゃないだろうか。いや、そもそもプレイヤーどころかバスケ部でもないちゃんが、どうして自分の学校が関係ないバスケ部の試合なんて見に来る必要があるだろう。……俺の考えすぎかもしれないが、全て流川の為ってことはないだろうか……。もし仮にそうだとして……藤真、悪いことは言わん、もうやめておけ。本当の本当に、どうやらお前の付け入るところはなさそうだぞ。 お前はちゃんのこととなるとどうも猪突猛進で周りが見えない大馬鹿者だが、翔陽には唯一無二の大事なプレイヤーだし、何よりお前は良いヤツだ藤真。だからお前が傷つくのが目に見えているのに放っておくなんてこと、俺にはできない。 なんとか適当に理由をつけて、藤真をここから遠ざけよう。それからゆっくり、俺達でちゃんのことを忘れさせてやる! 俺達にはバスケがあるだろう藤真。今年こそはナンバー1になると俺達は誓ったはずだ。恋はまたいくらでもできるし、お前みたいな男ならどんな女の子だって惚れるさ! ……その好きな子には盲目すぎるところが改善されればな……。 前置きが随分と長くなってしまったが、とにもかくにも藤真をこの場から引き離そうと方法を考えている俺のことなど当然だが本人は知らない。 「恥ずかしいわけあるかー!! オレはお前が好きなの! それがロリコンだってんならロリコン上等だー!!!!」 「(翔陽のキャプテン兼監督がやめろォオオオ!!)藤真帰るぞ!! 今すぐにだ!!」 もう上手い理由はもちろん、藤真を傷つけないように……なんて本当に心底どうでもよくなった。 そもそも俺は、何故こうも最後まで藤真を庇ってやろうとしていたんだろうか。 「うるせー! 一人で帰れ!! ってかオレはダメなのになんで流川はいーんだよ意味分かんねー!!!」 こいつはただの変態ロリコン野郎だ。 「るっ、流川せんぱいはいーんです! もうほんと帰って下さい藤真さん!」 「……帰ってクダサイ」 「――んでテメーにんなこと言われなくちゃなんねーんだよ流川ァアアアアァ!!!!」 「花形さんっ! 早くこの人どっか連れてってください!!」 「っちょ、なんだよそれ! 、流川みてーなのとふたりっきりなんて危ないぞ!! オレが守ってやる!!」 「アブないのはあんただろ」 「ンだと流川ァァア!! てめーマジでぶっ潰す!! ってオイ何すんだ花形!!!」 こいつはただの変態ロリコン野郎。そう思ったら、なんだか胸がスッキリとした。藤真の気持ちなんてこの際どうでもいいのだ。重要なのはこんなつまらないことで俺の大事なオフが半分ダメになったことだけだ。誰だ、藤真のしおらしい面を彼女が見ればあるいは……なんてありもしないことを考えていたのは。 蓋を開けてみればちゃんは流川と両想いで、藤真は完全に邪魔者だ。せめて藤真の頭がまともだったなら俺も応援してやろうと思えたかもしれないが、今はその気は一切ない。……ちゃんも本当に可哀想に……。流川という(本当に)立派な想い人がいて、しかも両想いだっていうのにこんな意味も分からんヤツに付きまとわれて……。でも安心していい。もう俺も頭の血管が何本かぶちぎれた。 「……うるさい……さっさと帰るぞ……!!」 そう一喝して藤真をずるずる引きずると、ちゃんがナイス! 花形さん!! と今日初めての笑顔を見せた。 ……そうか、藤真さえいなければ君はそんなにもいい笑顔を見せる女の子なんだな……。つまり彼女の表情を曇らせるのは全てこのバカが原因だということだ。ちゃんにも流川にも、そして誰よりうちのチームのヤツらが不憫でならない。なんでお前がキャプテンでしかも監督なんだ? ただのバカだろうお前。 容赦なく引きずられながらもなお悪態をつく藤真に、俺はなんだか胸が苦しくなった。 「っくそ! 覚えてろよ流川!! てめーはぜってぇこのオレが叩きのめしてやるからな!!!!」 「おぼえてたら」 「キィ!! オイ聞いたか花形!! なんだあのクソ生意気な1年は! え?! もーマジゆるさねー!!!!」 「俺はお前が……いや、俺自身が許せないよ……」 あ゛? ばか、お前はなんも悪くねーよ。まあ確かに、さっきあそこでお前がから流川引き離してたらまだ状況は違ったと思うけどさあ。 そう言う藤真の頭を、黙ってぶん殴った。やっぱバカだろお前。 俺はお前をキャプテン兼監督になんて認めた俺が許せないんだよ。 |