口にすればするほど、どうして真実味を失い嘘らしさを増してゆくのだろう。俺は、そんなことちっとも望んじゃいないのに。
俺の言葉は俺の意思をいつも無視して、勝手気ままに暴れ回る。誰かを傷つけることも、誰かを喜ばせることも、全て俺の意思ではない。
それなのに君は、俺の言葉の一つ一つを丁寧に理解しようとして、ぞんざいな扱いで人目のない心の隅っこへ追いやられた本当の俺の
気持ちを拾い上げてくれるのは、一体どうして?誰も気づかないはずの俺を知っているのは、どうして?優しい眼差しは、俺を丸裸にしてしまう。

俺は、君のその目が欲しくて、でも同時に抉り出して火の中へ投げ込んでしまいたい。俺を知られたくない、俺を知って欲しい。相反する思い。
でもそれさえ、君は見抜いてしまっているんだろう。


――――違うかい?


「……なんだか、ボスのことみたいですね、そのお話」

休憩中コーヒーを啜りながら、俺たちはいつもお互いが最近読んだ本の話をする。小説はもちろん、実用書や漫画、俺たちはなんでも読んだ。
なんでも話した。つい半年前にふらりと俺の下へやって来て雇って欲しいと言った、五つ歳の離れた幼い少女。笑うことを忘れてしまったかのような
無表情で実に無口な女の子に、どのように接すればいいか最初は全く分からなかった。正直、雇うと言ったのも口先ばかりの約束で、こんな幼くか弱い
少女をこちらの世界へ引きずり込む気は皆無だったのだ。しかし、行く当ても無さそうなので身元がはっきりするまでは俺が面倒をみようと思ったのだが、
この半年で俺は彼女をどこへもやりたくないと思う程度には気に入ってしまって、今ではそんなくだらない情報集めなど止めてしまった。きっかけは、無口で
極端に表情の乏しい彼女が唯一ころころと表情を変える瞬間を、偶然にも見つけてしまったからだ。任務を与えないとすれば、ここで彼女ができることは
限られている。いつも黙ってただ大広間のソファに座る彼女を不憫に思って、ビアンキが書庫へ行ってみたらどうかと声をかけると彼女はすぐさま書庫へ
向かい、それから3日ほど誰がなんと言おうとそこを離れなかった。所在なくただ大きすぎるソファに腰掛けている姿に、何か退屈しのぎになるものをと
思ってはいたものの、年頃の女の子が興味あるものなど皆目見当がつかなかった俺は結局何もしてあげられなかったのでビアンキには大いに感謝した。
が、書庫に入り浸るようになってからますます人と関わることをしなくなってしまったので、ここを出て行ったあとに社会に出た時彼女はどうするのだろうと思うと、
俺は不安で仕方なかった。一度面倒をみると決めた以上は、ここを出てから彼女が不自由するようにしてはいけない。そんな義務感だけは、一丁前に感じて
いたのだ。そしてある時、俺は仕事の合間に書庫へと足を運んだそこで、見てしまったのだ。分厚い革の表紙を撫で、優しく笑う少女を。繊細な指が、宝石を扱う
ようにそっと優しく変色した古い紙をめくるのを。そして何より、笑ったのだ。いつも口を真一文字に結んで黙り込み、愛想笑いすらしない凍った表情がやわらかく
華開いた。その時の衝撃と言ったら!俺はそれから毎日仕事と仕事の間の僅かな休憩時間に書庫へと足を運び、彼女の傍にいた。毎日同じ時間にやって来る
俺をどう思ったのか、通い始めてしばらく経った頃、彼女が初めて、俺に雇って欲しいと言ったあの日以来初めて口を開いた。

「人が本を読んでいる姿を見ていて、楽しいですか?」

俺はなんと答えるのが正解なのか分からず、しかし彼女を納得させる答えでなければと唸った。そして、

「うーん…、俺は君が本を読んでいる姿を見ているんじゃなく、君が体現している物語を読んでいるから、楽しいよ」

このちょっと苦し紛れな解答を思いの外気に入ったらしい彼女は、次の日からは俺に本を薦めるようになった。誰に聞いたのか知らないが―――と言っても思い
当たるのはたった一人なのだけど―――俺には“教養がなさすぎる”ということで、彼女が政治経済から精神世界までありとあらゆる“おもしろい”本を。彼女の薦める
本は全て俺のお気に入りになって、この書庫とは別に自宅の本棚にも置いてある。あってないようなものだった自宅の仕事部屋の本棚は、今ではそれだけでは足りず
ついには部屋の壁そのものを棚にしてしまおうと現在改装中だ。もう、新しく本棚を置くスペースもないので。彼女に薦められる本を読むことはもちろん、次第に自分でも
面白そうな本を見つけることを始めた。そして書庫へ足を運んだ際に、彼女に言うのだ。この本、知ってるかい?と。初めは彼女が既読のものばかり紹介してしまって
苦い顔をされたものだけど、今では大分興味深げな顔で聞いてくれるようになった。最近では特にちょっとダークな感じの小説がお気に入りらしく、口数も多い。それでも
彼女が何を考えているのかは、さっぱり分からないが。そして今日も今日とて、こうしてお互いの読んだ本を紹介し合っているわけなのだが。彼女は今日俺が紹介した
小説に、とても興味を示した。何故かは分からない。そして、彼女が言った意味も。「……俺のことみたいっていうのは、どういうことだろう」俺が聞くと、彼女はむっと眉間に
しわを寄せた。どうしてそんなつまらないことを聞くのだろう、というような顔だ。

「だって、そうじゃない。よく分からない押し付けが、すごくボスに似ていると思いますよ。胸の内で持て余してる、あなたのその凶暴な感情のことをいったお話みたいです」
「…となると、俺は今報われない恋に苦しんで、とうとうその恋の相手を殺そうとしてるってことになると思うんだけど」
「この小説のままとは言ってないじゃないですか。似ているって言ったんです」

同じようなことだよ、なんて真剣に言ってみせてその頬に手を伸ばしたら。つまらない現実に呆れた君の表情を少しは、色とりどりの物語の主人公達のように輝かせることも
できるのだろうか。それを試してみるには、俺にはまだ勇気が足りないけれど。

「とにかく俺は、そんなアブない思想を持ってると思われているんだね、に」

ちょっと拗ねたような振りをしながら、ぽつりと言う。は、少し意外そうな顔をした。やっぱり、この子のことはよく分からない。

「…そんな風に言われるとは思いませんでした。ああ、でもボスも気付いているんですね、少しは」
「気付いているんですね、だって?…うーんと、それはどのことを言ってるんだろう。君の気難しさ?それとも、俺そのものには君の表情をぴくりとも動かせないんだっていう、無力さ?思い当たることが多すぎて、がなんのことを言ってるのか分からないや」

あはは、なんて笑ってみせると、は表情を硬くしてさも重大なことを告げるみたいに、静かに口を開いた。




「…わたしを、閉じ込めてしまいたいって思ってること」




しんと、俺達の周りだけが時すら止まってしまったかのように一瞬で静まり返った。そして俺は冷静になる。…そうだ。彼女は、は知っているのだ。誰も気づかないはずの、
俺を。どうしてだろう、そのことが嬉しかったのに。空想からのみ触れることができた君のその優しさが、幸せだったのに。なのに今、俺を丸裸にしてしまう君の眼差しが痛いよ、
憎らしいよ。

「……さっき、言ったね」

ああ、おかしい。物語なんかより、本当は現実の方が遥かに素晴らしいことを君は知らなかった。俺は、どうだろう?でも少なくとも今は、これからの現実に胸が躍っている。
そんな狂気をひた隠して、俺はさもまともそうにそう言ったけれど。人間とはかわいそうな生き物で、自らを害するものの接近には敏感なのだ。

「…何をです?」

そう慎重に返してきたの声は、もう分かっていた。

「“俺は、君のその目が欲しくて、でも同時に抉り出して火の中へ投げ込んでしまいたい。俺を知られたくない、俺を知って欲しい。相反する思い。でもそれさえ、君は見抜いて
しまっているんだろう。違うかい?”これね、この小説のラストシーンなんだよ」

は、笑った。もしかしたら君も、もうおかしくなってしまったのかもしれない。おとぎ話の主人公への、果てない自己投影の結果。

「ふふ、ラストシーンを先に話してしまうのは、ルール違反ですよ」
「…そうだね」



それじゃあ、もうお話は終わりにしなくちゃね。

仮想世界の転生



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