空かける




俺の心全てを預かっておいてくれだなんて、そんなことは言わない。

誰しも自分の心を綺麗だなんて胸を張って言えやしないだろうが、俺のはとびっきりだ。
どこもかしこも余すとこなく真っ黒で、表面さえも、べたついているどころかどろどろしている。

でも君は、そんなところも含めて俺だから、その全てを愛すと言ってくれた。
その言葉に、俺はどれほど救われて、どれだけ情けなく泣いてしまっただろう。
飾らない、取り繕わないありのままの俺を受け入れてくれた君が、愛しくて仕方ない。


だからどうか、俺の心のかけらを、持っていてはくれないか。


窓越しの柔らかい陽の光は、ここのところ仕事漬けだった俺の身体に優しく沁みわたっていく。
じわじわと熱は広がり、まるで心地いい眠りに俺を誘うようだ。

本来、長時間の執務でも無理なくこなせるように、と用意されているふかふかのチェアー。
俺を襲う睡魔が行う船漕ぎのこっくりさえ、気持ちいい刺激だ。
身体が揺れる度にチェアーに沈んだり浮いたりするのが、また更に眠気を助長させる。


「ふ、ああ、」


ああ、ねむたい。

ゆっくり、瞼が下りてくる。
そして、意識も下へ下へ、沈んでいく。




「綱吉?」




今にも眠りに落ちそうだった俺にすれば、それは無遠慮だと言いたくなるようなタイミングだった。
しかし、それからすぐにはっとして、ぐったりもたれかかっていたチェアーから背を起こす。


「あ、あぁ、か、」
「何よそのかって。私じゃ不都合なことでもあるの?」
「いやいやいや、その逆。……リボーンじゃなくてよかった」
「ふふ、やっぱり寝ちゃいそうだったんだ」
「え?」


口元に手をやって、はくすりと笑った。
あまりに優しい微笑みに、執務中にうっかりうとうとした自分が、途端に恥ずかしくなってくる。
結局睡魔に負けて、彼女の声がなければそのまま寝入ってしまっていただろう自分が。


「……最近仕事漬けだったんだよ。……っていう言い訳はありかな?」
「ありもなしも、いらないわ、言い訳なんて。別にリボーンに言いつけたりなんかしないもの」
「ほんとに?」
「嘘を吐いてどうなるのよ」
「あはは、それもそっか」


ぼうっとしていた頭が、少しずつ覚醒していくのを感じる。
あくびと同時に伸びをすると、座ってもいい?と彼女が応接用のソファを指差した。
断る理由はもちろん、彼女が自らここへ来たというのに、それを追い出すような真似を俺が出来るはずもない。
むしろ座ってくれと言いたいくらいだが、そこは平静を装って当たり障りなく、いいよ、とだけ答える。


がここへ来るなんてめずらしいね。いつもは呼んでも来てくれないのに」


そう言いながら席を立ち、俺はの向かいへと腰を下ろした。
彼女は、なんともない顔で淡々と言った。


「……たかが愛人が、そうボス様のとこへ来れるわけないでしょ」


ちょっと待てよ。


「ちょっと待ってくれよ、誰がいつ君を愛人だって言った?」
「だってそうでしょ」
「いや、だから誰がそう言ったんだって聞いてるんだ」
「別に誰も。でもそうじゃない」


何が彼女にそう思わせるのか知らないが、彼女はいつも自分を俺の愛人だと言う。
俺は彼女をそう思ったことなど一度もないし、そう扱ったこともない。
俺の周囲も、という女性は俺の恋人、または婚約者としてきちんと認識している。
それなのにどうしてか、その本人がそれを頑として認めない。


理由を聞いても、だってそうでしょう、としか返ってこないので、どうも原因が分からない。
よって、解決も出来ない。

初めのうちは、それでも傍にいてくれるならいいか、そのうちきっと分かってくれる。
なんて、随分とまぁ楽天的に考えていたものだけれど、彼女の態度は、いつまでたっても変わらない。
それが悲しくないなんてこと、あるだろうか。
だってこれでは、本当に愛し合っていることにはならないのに。


彼女は俺の全てを愛すと言うのに、俺には彼女の全てを愛させてはくれない。
こんな不平等って、あるんだろうか。
俺的にはそんなの絶対なし、だ。


「……、」
「何」
「昼寝、しようよ」




はきゅっと眉根を寄せて、あからさまに嫌だという顔をする。




「は?仕事は?」


しかし、俺もそう簡単には引かない。
なんせ今日は、自らがこうしてここへ来たのだ。
何かしら、心境に変化があるのだとすれば、言い様は悪いけれど、そこに漬け込まない手はない。


「今日はもういいよ」
「よくないでしょ」
「だって君、俺のうたた寝はリボーンに言う気ないって言ったじゃないか」
「ちょっと休憩に仮眠を取るのと昼寝じゃ、全然違うわ」
「違わないよ。ね、いいでしょ?」


よくない、と言う彼女の言葉を受け流しながら、彼女の隣に座り。
そして、


「ちょっと、どいてよ、」


そっと、それでいて強く、ソファに押しつけるように、の身体を押し倒した。
甘い香りの首筋に顔を埋めると、肩をぐっと押されるけれど、そんなのはかわいい抵抗だ。
男の俺からすれば、そんなものは抵抗のうちにも入らない。


「いやだ。昼寝するんだ」
「ふざけないで、どいてったら」


何が、こうも彼女を頑なにするんだろうか。
俺がするように、彼女にも、その心の全てを見せて欲しいと願うのに。
けれど、強く願えば願うほど、それは指先を擦り抜けていく気さえする。


「いやだよ。……は、俺の恋人だ。恋人は、恋人の昼寝に付き合う義務がある」


不機嫌に歪められた表情が僅か、切なそうな影を見せる。
はっとする俺に気づかない様子で、彼女はぽつりと零した。


「……そんなの聞いたことない」


どんな睦言を囁こうとも、顔色一つ変えない恋人の、ほんの少しの変化。
それを見逃すはずなく、そして思わず綻ぶ口元もそのまま、俺はの頬に唇を落とした。


「そりゃあね、俺の恋人限定ルールだから」


俺の両足の間にあるの足が、衣ずれの音と一緒に揺れる。


「、私より、相応しい人がいるでしょう、」


言った直後、白い腕が俺の首を引き寄せた。
彼女の言葉は、俺が望む優しい平和のように、心の底をくすぐる。
彼女に預けた心のかけらが、浄化され、溶けていく。




「、ばかだなぁ、」




俺はなんとかそれだけ口にして、あとはキスで分かってもらうことにした。



photo:十八回目の夏