せめて君の前では、本能に忠実なだけの馬鹿なけものに、成り下がりたい。
大人になれば、成長してゆけばゆく程に、責任や義務に捕らわれていく。
感情だけでは動けなくなるのだ。
見た目と窮屈なルールばかりが気になって、素直さをいつしか忘れてしまうのだろう。
そうなると、捻くれた理屈だけが達者な大人として、世界を回していかなければならない。
もちろん、世間様の目を気にしながら、謙虚に謙虚に、お世辞を使いこなしながら。
「いやになるよなぁ、まったく。なんでもウチが片付けられるなんて……、なんでも屋じゃないんだから」
「ふふ、そうね。でも、それだけあなたが信用されてるってことでしょう。喜ぶべきことだわ」
「……まぁ、そうだろうね。でも、俺は万能人間じゃないから。出来ないことの方が多いんだよ」
俺を信用してくれるのも、慕ってくれるのも、心から嬉しいと思う。
そうして俺を頼ってくれるのだ、とてもありがたい。
けれど、本来の俺という人間の器では、時折それが重すぎるように感じる。
物事の分別がつく大人として、見た目をきちんとして、枠からはみ出さずに生きていかなければいけない。
それが正しさというやつで、善なのだろうけれど、それは案外難しいものだ。
何故なら、決められた枠の中に生きる正義というのは、体現してみると辻褄が合わなかったりする。
所詮は綺麗事で、つまりは見た目で、そうするとずる賢い大人は、やはり謙虚に謙虚に生きたがるのだ。
俺は見事にそういう大人になってしまって、今では自分の本心すら、うそのような気がする。
自分はこんな汚い人間なんです、と言うのは、そう言えるあなたは立派です、と返して欲しいからなのだ。
理性で生きるのが人間だと言うけれど、これは理性ではなく、ただの屁理屈だ。
筋の通っていない、自分勝手な言い分だ。
けれど、見た目を気にする俺は、それをそのまま素直に認めはしない。
うまく言い繕って、謙虚でやさしい人間だと思われるように、ただただそれだけに頭を使う。
「何も考えずにただ呼吸して、その日その日を生きるってことが出来たらいいのに」
「つまらないことを。考えることをやめるというのは、人として生きることをやめるということよ」
「あぁ、この際それでもいいよ。そうだね、人間をやめて獣になってしまいたい」
「またそんな、いやぁね、仕事続きでおかしくなったの?」
「そうかも。……でも、いいなぁ、けもの」
「そう言ったって、今は人間以外の何にもなれないわ」
「分かってるよ。けど、何も考えなくていい獣になれたら、」
本能に忠実に、ただきみだけを愛すことが出来るのに(呼吸と、愛することしか知らない獣)