「やだっ、ちゃんがいいっ!ちゃん、ちゃんっ、」 そう言いながら、ひとまわりも違う小さないとこは、あたしの目線のずぅっと下で、腕をぐっとこちらに伸ばし、ぴょんぴょん飛び跳ねている。抱っこならパパがしてやるぞ〜、と家光おじさんが抱き上げても、彼はあたしに手を伸ばして、きぃきぃ喚くばかりだ。いやだいやだっ、パパじゃなくてちゃんがいい!そう言われるのが嫌なわけではないけれども、それじゃあパパがかわいそうだろうよ。そりゃあ、仕事で家を空けていることがほとんどだから、毎日のように顔を合わせるあたしの方がひっつきやすいんだろうけども。でもやっぱり、お父さんの抱っこの方がいいだろうに。じ、と今にも泣き出しそうなちびっ子を見つめると、期待のこもった熱視線が返ってくる。こちらに伸ばされた手が、あたしの首筋あたりを狙ってぱたぱた動く。はあああ、と重っ苦しい溜息と一緒に、家光おじさんがぐっとちびっ子、綱吉くんを差し出してくる。若干、涙目で。 「ちゃん!ふふー、やっぱり、ちゃんの抱っこがいちばんすき!にばんはママ!」 「つ、つなよし、パパはなんばんかなー?」 「パパはやっ!」 ……子どもって、時に残酷だよなぁ……。 綱吉くんの無邪気な精神攻撃に、家光おじさんは身体を丸めて何事かぶつぶつ言いながら、ひどく落ち込んだ様子でどこかへ行ってしまった。……かわいそうに。一方綱吉くんは、そんなパパのことなんかお構いなしに、あたしの腕の中できゃっきゃきゃっきゃと楽しそうに笑っている。 綱吉くんは、泣き虫でだだっ子なのがたまにキズだけど、とっても素直なかわいい子だ。にこにこしながら、あたしの後ろをちょこちょこ追っかけてくるとこなんか、実にあいくるしい。けれど、実をいうとあたしは、子どもっていうのがあまり好きではない、苦手だ。自分もまだまだ子どもなので、ちょっと生意気な気もするけど、他に言いようもない気がするのでここはしょうがないとして。けど、綱吉くんは別なのだ。他人の前でも気にすることなく、手放しで褒めちぎってしまうくらいにかわいいと思っているし、その通りにかわいがっている。綱吉くんがあたしの抱っこをねだってくる時の、なんだろうか、あの、なまあったかい気持ち。母性本能とでもいうのか、そういうのがくすぐられてる感がして、なんだかとっても、ぐりぐり撫でくり回して甘やかしてやりたくなってしまう。綱吉くん以外にも何人かいとこはいて、その中に、綱吉くんとあまり年の変わらない男の子もいるのだけど、そんな気持ちになるのは、綱吉くんとに対してだけだ。その男の子が、綱吉くんと真反対のタイプであることも理由の一つかもしれないけれど、やっぱり何より、綱吉くんの持つほのぼのしたオーラみたいなのが、あたしの中の母性を揺り起こすのかもしれない。 「ねえねえちゃん、おさんぽいきたーい!」 「おさんぽ?うん、いいよ。どこまで行く?」 「並盛公園!」 あたしの首に回っているふにふにした腕が、きゅうっと締まった。やわらかい、ミルクの匂いのするほっぺたが、すりすりと首筋に寄ってくる。にこにこ顔の綱吉くんにつられて、あたしもついついにこりと笑ってしまう。さて、おさんぽなら財布とケータイだけでいっか。綱吉くんを抱っこしたまま、庭で洗濯物を干しているだろう奈々おばさんの元へ向かう。綱吉くんには帽子をかぶせて、それからお気に入りのくまさんのリュックを持たせてあげた方がいいだろう。奈々おばさん、と声をかけると、はいはい、なぁに?と奈々おばさんは洗濯物を干す手を止めて、朗らかにこちらに振り返った。 「綱吉くんとおさんぽに行こうと思うんですけど、」 「あらっ、ちゃんおさんぽに連れてってくれるの?あっ、帽子とくまのリュックね〜、はいはい、」 「はい、どこにありますか?教えてもらえればあたしが用意しますけど、」 「あらっそう?じゃあお願いしてもいいかしら〜、ふたつともツっくんのお部屋のクローゼットの中にあるんだけど」 「分かりました。じゃあ、並盛公園まで行って、少し遊んで帰ってきますね」 「いつも悪いわね〜、ツっくんの面倒見てもらって」 「いえ、全然。あたし、綱吉くんと遊ぶの好きですから」 「ちゃん、はやくいこうよぅ」 あたしの首筋に顔を埋めて、すんすん鼻をならしながら、綱吉くんは小さく言った。けど、それはあたしにはもちろん、奈々おばさんの耳にもしっかり届いていて。あたしは目を丸くして、でも綱吉くんをぎゅっと抱きしめる。すると奈々おばさんが、くすくす笑い始めた。抱っこしている綱吉くんをちらっと見ると、なんだかむすっとした顔で、ただただぎゅっとあたしにしがみついている。何がなんだか分からない。困ったなぁ、と視線で奈々おばさんに言ってみるけれど、奈々おばさんもただただくすくす笑っている。綱吉くんはますますぎゅっとあたしの首を抱きしめるし、あたしもつられてぎゅっとし返してしまうし。でもこのままでいてもしょうがないし、あたしが何か切り出さないとどうにもならない気がしたので、あのぅ、ととりあえず声を出す。 「、あのぅ、じゃあそろそろ行ってきますね、あの、公園、」 「えぇえぇ、お願いね。ふふ、ツっくんったら本当にちゃんのことが大好きなのね」 「へ?」 「ううん、なんでもないわ。それじゃあツっくんのこと、よろしくね」 「あ、はい、」 拗 「なんてこともあったのよね〜。あの頃からツっくんってちゃんのことが大好きで、 それこそ私がちゃんとお話してるだけで拗ねちゃって、かわいかったわ〜」 「もう、そんな昔の話やめてよね、母さん」 照れくさそうに笑う顔に、もう昔の面影はほとんど見えない。あれから20年近く経って、あんなに小さかった綱吉くんも、もう24。私も、歳を取った。結婚もして、母親にもなった。20年も経ったのだ、私も歳を取ったし、彼も大人になった。あの日の、小さな男の子はどこにもいない。あの頃の私も、もう。 綱吉くんが18でイタリアに留学したという話は、人づてに聞いた。(知ってる?沢田綱吉クン、)私はその約10年前にイタリアへ飛んでいて、(逃げられるわけないでしょ?)綱吉くんがイタリアへ降り立った頃には、(自分の子と綱吉クン、どっちが大事?)仕事であちこちを飛び回っていた。(そうだよね、自分の子供、大事だよね?たとえ僕との子でも)こうして会うのは20年振り、だった。 「でも残念だわぁ。母さん、てっきりちゃんはツっくんと一緒になってくれるもんだと思ってたから、」 「母さん。……第一、俺なんかじゃさんには釣り合わないだろ」 「、ごめんなさい、私そろそろ……、」 「えぇ?もう少しゆっくりしていけばいいのに……」 「そうしたいんですけど……、実は今日、もうイタリアに帰るんです」 「まぁ、そうなの?じゃあ引き止めても悪いわね、でもまた日本へ来ることがあったら寄って頂戴ね」 「はい、ぜひそうさせて下さい。……それじゃあおばさま、お元気で。綱吉くんも、ね」 「途中まで送りますよ。駅前のホテルなら車ですぐだし」 「、そんな、いいわ、」 「そうしなさいよ、ちゃん、乗っていってちょうだい」 「遠慮しないで。……ね、」 ね 結局二人に押し切られる形で、私は綱吉くんの運転する車の助手席に座っている。黒の、普通車。普段のっている車が車だから、なんだか落ち着かない。ちらり、と隣でハンドルを握る青年を見る。すっかり、大人になって。もう、むずかることも、ない。私を求めて甘く擦り寄ってくる小さな子供は、もうひとりでなんだって出来るようになったのだ。そして、世界を優しい目で見つめていたあの頃の私は、もうひとりではなにもできなくなってしまった。 「……結婚、しちゃったんだね」 「だって私、今35よ?結婚もするわ」 「そう、だよね」 「綱吉くんこそ、いい人はいないの?」 「う、ん、俺は……、別に」 「そう。でも、早くおじさまとおばさまを安心させて差し上げれば?おばさま、楽しみにしてるみたいじゃない」 「……ねぇ、さんの旦那さんって、どんな人なのかな」 る 私は何も言えなかった。優しい人だとも、ひどい人だとも。喉の奥に何か詰まってしまったみたいに、声が出なかった。ただ、頭の中では、あの頃のあたしと、にこにこ笑う幼い子が、こちらをじっと見つめていた。手を伸ばしても、もう届きはしないのに。あの頃のふたりが放つ、あたたかく眩しい光に目を細めて、私は言った。やっとの思いで、声を、腹の底から絞り出した。それは掠れていて、震えが、今の私の立場をそのまま形にしているようだ。でも、少し拗ねたように口を尖らせる仕草に、明日が望める気がした。全部失くしてしまうとしても、一番失くしてはいけないものを、あの日、失くしてしまったから。でも出来れば、失くしたんではなく、あなたに預かっていてもらってたと、そう思いたい。 |