女の人に甘えることは、嫌いじゃなかった。弱っている時などは、特に。そして、年上の人は、とてもいい。弱ってる俺にものすごく優しくしてくれるし、そういう時にそうされることを望んでいた俺は、じわじわ身体を温めるぬるま湯みたいなそれが、ひどく愛しかった。女の人に慰められるのは、気持ちいいものだ。あったかくて、やさしくて、お腹がいっぱいになった時みたく、ゆるやかに眠りに就ける。柔らかい身体に縋って、その人肌で眠れる時は、特にいい。そうやって、俺は少しずつ駄目になっていく。弱々しい振りをして見せて、同情という名の一時の愛を手に入れて、その一瞬の幸せの中、うとうとと。初めの内は、こんなことではいけないと思う責任感も正義感もあったのだけど、俺は少しずつ駄目になっていっているのだ。次第に、そんなことも感じなくなって、いつしか、そういう自分も忘れ始めた。でも、この人に逢うと、情けない自分を、現実を突きつけられて、悲しくなる。思い出す。俺がどんなに駄目で、情けなくて、ちっぽけな人間かということを。 「、さん、」 「毎晩違う女の所へ寝泊まりするにしても、獄寺君や武君にくらい連絡してあげなさいよ」 「……、どうして、ここに、」 「仕事以外に来たくないわよ、娼婦の溜まり場になってるバーになんか」 「っ、……なら、早く仕事を済ませたらどうですか」 「それがねぇ、今回のはちょっと面倒なのよー」 「、……めずらしいですね、さんがそんなことを言うのは。それで、どんな?」 行方不明のマフィアのボス、探してるの すぐさま席を立とうとしたけれど、もちろんそれを許してはくれなかった。この人はいつも、俺に優しくしてくれない。呆れたような目で、じっと俺の顔を見つめてくる。こういう目で俺を見る人はみんな、嫌いだ。何かに裏切られたような、がっかりした目。初めから、何も変わってないだけなのに。さんは、テーブルの上で固く拳をつくっている俺の手をちらっと見て、居心地悪そうにすぐ目を逸らした。俯いて、唇を噛む。彼女を俺の所へ寄こしたのは、一体誰だろう。なんてことをしてくれたんだろう。彼女には、こんな俺を見て欲しくなかったのに。この人は、俺を甘やかしてくれる女の人ではないのだ。俺にただ目の前の現実を教えて、俺を叱るだけ。しっかりしろと、俺を怒るばっかりで、ちっとも優しくない。舌打ちの後、かちりと火が点けられた煙草から、ゆらゆら煙が上り始める。ゆっくり彼女の目の奥を覗いてみると、なんだか困っているようだった。おかしい。そういえば、いつもは逢って一言目にすぐ何かと文句を言われるのに、今日はまだ何も言われていない。彼女は甘ったるい煙を吐き出すと、あのさぁ、と言いにくそうに切り出した。かと思うと、また口を閉じる。本当に、おかしい。この人は、俺の最後の良心を刺激する、唯一の人だというのに。どこかで、それに安心してもいるし、少しばかり期待もしているけれど。しかしいよいよ、あちこちに視線を動かしては、溜息を最後に、言った。 「あのさ、どうしてこんなことするの?女なら、アジトでもいくらだって呼べるでしょう。 まぁ、同業者ばっかりだけどさぁ。……でも、あんたには立場ってモンがあるんだから、 こういうとこで女を買うのはさ、ちょっとよくないと思うわけ。仕事も放り出して、 そんなんじゃダメなんだよ、あんたは。……あーあ、わっかんないなぁ……」 怒鳴りもしなかったし、暴力的に立ち上がることもしなかった。けれど、理不尽を叫びたくて、腹の底がぐらぐら煮え立つような気は、確かにした。分かったとしても、受け入れてはくれないくせに!だから、分かるはずがないのだ。そもそも俺は男で、さんは女だ。俺が抱いてる寂しさも、俺が欲しい温もりも、分かるはずがない。俺のことなんて何一つ知らないくせに、同じ毒を吸わせる。そういう無神経さが、俺は嫌いだ。この人は俺を甘やかしてくれないし、慰めてもくれない。俺が辛くても、悲しくても、それに気づくことすらなく、それなのにこうやって俺を引きずる。逃げ道がないように、深い場所に落として。そんなずるい人が、俺の気持ちなんて分かるはずがないし、分かってもらったところで、仕方ない。この人は、俺のものになんかなってくれやしないのだ。結局、彼女が俺を迎えに来たところで、何も変わらない。俺の寂しさを埋めてくれるのは、やっぱり、俺を優しく慰めてくれるきれいなおねえさんたちだけなのだ。 「明日には、ちゃんと帰ります。だから、もういいでしょう」 「……帰るんならいいけど、また同じことすんなら変わんないでしょ。あんた、一体何が気に入らないの」 「気に入らないなんて、そんなことは言ってないじゃないですか。さん、早く帰って下さい」 「あんたさぁ、そうやって自分を守ってるのかもしれないけど、それが一番辛いよ」 「……早く、帰って下さい、もう仕事は終わったでしょう、俺は明日帰る」 「だから、明日帰ったって明後日からまた浮浪してちゃ意味ないでしょ」 「俺のことなんて何ひとつ分からないくせにっ、知ったような口を利くな!!」 どくどく、血液の流れが聞こえるようだった。かっと血が上って、それと同時に、何かが急速に冷えていくのを感じた。激情のまま、払うようにして床に落としたグラスの破片が、溢れ出た液体が、その振動を伝えて、震える。驚きに目を見開いた状態で呆然と、彼女は息荒く肩で呼吸する俺を、ただその目に映している。それを蔑むように睨んでいる俺が、見えた。俺を知らない女の人に、ただただ優しくしてもらえるのは、気持ちがいい。そこには、マフィアもボスも、ボンゴレだって関係ない。俺はなんでもない、ただの男になる。ただの男である俺のすぐ目の前には、顔を埋められる柔らかい胸があって、甘い香りの中で見られる優しい夢があって、さみしいと言えば抱きしめてくれる腕があるのだ。すぐ、目の前に。たとえ一番欲しいものではなくても、代用くらいにはなってくれる。それでいいと言ってくれる優しい女の人に、あなたを重ねて、さみしさを吐き出すことの何が、いけないんだろう。かなしくて、さみしくて、こわくて、それに耐えきれるだけの強い精神なんてもう残っていないのに、辛いと、嫌だと、ただありのままの気持ちを吐き出すのは、許されないことなんだろうか。俺だって、出来ればあなたの期待に応えて、裏社会をまとめるだけの男でありたかったし、そうであろうと努力だってしてきた。それでも、俺なんかの力じゃ到底どうにも出来ない出来事に直面して、絶望して、つらかった。それからどんどん堕落していく俺を、あなたは決して慰めてなんかくれなかったくせに、どうして今になって、俺を放って置いてくれないのか。どんなに願っても、あなたは俺のものになってくれないし、俺を優しく甘やかしてくれることも、慰めてくれることもない。それなら、他の優しい誰かをあなたと思って眠るしか、安らかな夜は来ないのだ。俺を知って欲しい人が、俺を分かってくれないなら、いっそ俺の存在すら知らなかった人に、そのまま俺を受け入れてもらう方が、ずっと、いいのだ。 「……泣くの我慢出来るなら、思いっきり泣くことだって出来たでしょうに。あんたも、不器用だね」 そうしてこの人は、何も知らないままに、俺を甘い香りで包み込んでしまって、笑った。俺と同じに、赤黒く染まっているはずの白い指先が、俺の目尻を拭う。そしてそこへ、柔らかい熱が触れたことを認識すると、ぽろぽろ涙が零れた。何も、知らないくせに、この人は。いつからか泣けなくなっていて、どんなに優しいひとの腕の中でも、涙はとうとう流れなかった。もしそれが、今まで、俺が泣くことを我慢してたということなら、それはたとえどんなことが起きたとしても、あなたにだけは情けなく涙する俺を、見られたくなかったからだろうに。女々しく嗚咽を漏らしながら、細い身体に縋って泣く俺の、なんてみっともない。でも、こんなに安心して、こんな風に心ごとあったかくなったことなんて、今まであっただろうか。 |